ゴミ袋を取っ掛かりに考えます。
鼻水かんだ鼻紙、用の済んだメモ、お菓子の袋、要らなくなった物を詰め込むゴミ袋。
私はいつも袋一杯になるまで詰め込みます。
ゴミ袋というと、「もえるごみ」と「もえないごみ」の仕分け。
正直、面倒というか、何が「もえるごみ」で何が「もえないごみ」か判別ができないというか…
例えば、漫画を買うとピニールで包まれていますよね?アレって私は「もえるごみ」にしているんですけど?
あと、ポテトチップスの袋は?厳密に言えば「もえないごみ」?ですよね?…火力の強いゴミ処理場に任せれば…ごふっ、いえ、きちんと別けましょ(目反らし)
そういえば袋の表記が「もえるごみ」と平仮名ですけど、想像の余地あり過ぎでは?
これが「萌えるごみ」とかだったら、フィギアとかを捨てる、のか?
逆に「萌えないごみ」とかだったら、禿げたおっさんが…いや、婦女子的には「萌えるごみ」になるのか?
やはり、分別は難しいな(哲学)
さて、あえて、私は言わせてもらいますけど。
脱線すること請け合いですけど、あえて!
誰からも関心されない人は、無関心に殺される。
と、当時考えていた思考があったので書いてみます。
え、何処ら辺にゴミ袋の要素が?とか思うかもしれませんけど。
当時はクリエイター気取りで(実はそこら辺の気質は抜け切れていないけど)
ちょっと物語を作っていたりしていたんですけど。
テーマがズバリ、「無関心」で。
誰からも関心されなくなった人間を少女が殺しまくるんですよ。
で、その死体を青年がゴミ箱(ここら辺ね、ゴミ袋要素)に捨てる、というもの。
この少女が所謂「無関心」によって具現化されたもので。
人から関心されないということは、居ても居なくても構わないことを示唆し、つまりは存在する意味の消失に繋がる=殺されると考えた訳です。
この少女は社会の一端を担う、死そのものと言ってもいいでしょう。
それで、殺されるキャラクターにもそれぞれ背景やら個性やらを考えていたんですけど。
例えば、青年は「ゴミはゴミ箱に捨てる」ことを体現した人間です。
少女が殺した死体は青年にとってゴミと等しく、ゴミはゴミ箱に捨てるものとしてゴミ箱に捨てます。
人間の内面の意味は消失するのに、死体の存在は無視できないことを行政として粛々と処理する意味でも青年の存在は重要です。
孤独死、などがありますが、アレも無関心によって殺されたようなものです。
誰かしら気にしてもらえれば、本来の寿命を全うしたかもしれません。
当時は無関心であることは存在の否定になるのでは?と考えていました。
今は…自己にさえ関心を寄せていれば、社会の無関心はどうにでもなるかな?と。
つまりは、自分次第なんですよね。
当時も、自分が周りに関心することが周りが自分に関心すること的なオチを考えていましたけど。
今は自分にさえ関心を持てれば、自己の存在を保てるような気がして。
そうすると、周りに無関心だとしても、別にいいかもしれないかな?
まあ、社会で生きていく上で、完全に周りを遮断することは却って難しいことではありますけど。
人は社会の中で生きていく生き物ですからね。群れで生きるの上位互換的な?
だから、当時の思考を否定はしません。むしろ、それはそれでやはり必要な思考であったと。
当時の思考はそのままに今の私を「ゴミ袋」へ。
新しい私よ、焼却炉で産まれ賜え!…なんつって。