5月24日の私の誕生日のお祝いコメントをFacebookで頂いた。
その返信用のコメント一覧だ。
かなり、適当に書いているが、私が普段考えていることなので、適当なりに真意がある、多分。
因みに、出だしは「あいうえお順」である。
や行の「い」、「え」と「を」、「ん」は抜いてある。
暇なら流し見で読んで、忘れて。
明日は明日の風が吹く、軽やかな風のように生きます。
石の上にも三年、居られる訳ないのでさっさと次へ行きます。
嘘八百、フィクションの中にも真実を一雫、そんな世界を綴りたい。
延々と詰まらない些事をこねくり回し、今を楽しみます。
お互い様、そう言える器の大きな良質な人間を目指します。
過度に評価しない、大きくも小さくも、ありのままを見たい。
聞き上手、相手の主張の裏側まで思いが及ぶ耳を持ちたい。
苦しい時は苦しいと言う、例え独り言でも、排水溝に流してしまおう。
結構毛だらけ猫灰だらけ、私は間抜けで世は事も無し。
根性、用途に応じて使い分けができる器用な人間が妬ましい。
さらさらと崩れる砂の城を何度も立て直すように、思考を止めない。
死ぬまでにやりたいことは、今やりたいことをやる、今死ぬかもしれないのだから。
好きだと言えたら楽ではないかと、嫌いと言う口で考える。
世間の常識に捕われて、ステレオタイプの偏見で我が身をまとっていることに自覚したい。
素知らぬ顔で知らない誰かを助けるヒーローもそっと助けられる顔のない人に成りたい。
たらればで語れば何も成りはしない、かもしれない、知らんけど。
父を反面教師に、と言う精神がまだ幼い33歳の男が私だ。
疲れたならば休めるように、畳一畳のスペースは人生に必要だ。
手を繋ぐ、拍手をする、手があるからできる表現は意外とあるのかもしれない。
遠い何処かに行きたい、月とか。
何が何でも突き進む、我武者羅に突き進む、大体答えは同じになるけれども。
人間というフォーマットに興味があって一個人に立ち入れないのは機能不全だろうか?
塗り絵をしたい、人の家の壁で。
ネッシーを知っていない人がいる令和、時代を置いていかれないようにしたい。
のんびりゆったりハチャメチャに、1時間をそうして過ごしたい。
馬鹿とハサミは使いよう、私の使い方は誰が知っている?
ヒントが欲しい、世界が終わるその時に上手に笑える方法を。
不特定多数に向けて発信する私の戯れ言を何れだけの人が真に受けているのだろうか?
変人を誇った幼少期、変人を脱しようとした青年期、今は変人なのだと諦めている。
本当に私はどうすれば良いのか、誕生日を迎える度に凹むが仕方ないと受け入れる。
回る世界は一つなのか、炭酸飲料の泡の数より消えてしまう認識があるような気がしてならない。
みんなそれぞれ、多様化のこの時代だから、言葉の重さがクジラ並みだ。
無関心、そのことに心を動かされたのは、私がきっと無関心なのだろう、何事も。
目には目を、歯には歯を、ならば愛には愛で応えれば平和になるのか?
もしも私がポジティブだったら、橋の下で首を吊っていただろう。
やはりそれは違う、と強面の人に面と言える度胸がステッィクシュガー1本分くらい欲しい。
夢を見続けたいけれども、現実を疎かにしてしまうならば、フライパンとおたまで叩き起こして。
余程のことがないならば、私のことは朽ち果てた廃屋のように、放っておいて。
ラララと謳うのは誰のためかと言えば、気分を上げたい私自身のためでございます。
リスクのない人生は魅力的だけど、リスクしかない私には無縁なのが悔しい。
ルールを守るのは社会規範のうんたらで、なんたらで、右から左へ流れる悲しみ。
レモンひと齧りの感性があったなら、私は少しだけ自分を認められる。
ロマンだ、世の中に足りないものはロマンだ、圧倒的にロマンが足りない!
私は「私」の自意識を追求する、その姿勢は変えない、決して。
以上、現場から。