ピアノを取っ掛かりに考えます。
白と黒の鍵盤が美しいピアノ。
音痴な私には勿体ない代物です。
音楽と言ったらピアノかエレクトリック・ギターですね。
次いで、ピアノはクラシック、エレクトリック・ギターはロックのイメージです。
イメージで言えば、ピアノは放課後の音楽室、エレクトリック・ギターは夜の駅前かな?
ピアノで言えば「四月は君の嘘」、「ピアノの森」、「のだめカンタービレ」。
エレクトリック・ギターで言えば「日々ロック」、「BECK」、「ハレルヤオーバードライブ!」。
まあ、読んだことあるの「四月は君の嘘」と「日々ロック」ですけどね。
割と私の持つイメージそのままって感じ?面白いですよ?
ピアノって言ったら「タケモトピアノ」ですかね?
「ピアノ売ってちょうだい」と中年の男性が言うあのCMです。
中毒性が高くありません?「電話してちょうだい」とか、白い全身タイツ?をきたダンサーとか。
あのCMを観ると何か安堵するんですけど。時代劇の定番を観ているような安堵感です。
最早、古典の部類に入るような…つまり、大好きですあのCM。
ピアノの思い出…とかそんなないですね。
強いて言えば、我が家にも電子ピアノがあるんですけど。
誰も弾かないですね。音楽の文化が我が家にはないような気がします。
私はたまにNHKのクラシックを聞きたくなるんですけど、滅多に聞けないですね。何せ、リモコンの所有権は母が持っていますから。
今や、物に隠れてしまってますよ…悲しいな、我が家のピアノよ。
歌を作る時には今はパソコンとか機械なんでしょうかね?
古い感性の私としては未だにピアノのイメージです。
いや、音が取り易いだろうなってのは何となく思うのですけど…
よく、歌を作るときは音が先か詩が先か?みたいな議論がありますけど。
卵が先か鶏が先か、みたいな?あ、違う?ですよねー。
うん、ここらで切り返すか。
あえて、言い切る。
詩は感情を乗せ易いが、共感されるとは限らない。
西野カナのエピソードだったか、自分の気持ちを詩に書いていたけど今一つ反応が良くなくて。
それで、等身大の詩にしたら共感された、だったかな?超うろ覚えです。
要は、周りの人にも「あるある」と言われることを書いたってことだと思うんですけど。
人同士の理解って完全には不可能だと考えています。
言葉でさえ不完全だと言われているのに、私が持っている感情や思考の不確かさを説明など出来やしないからです。
説明が出来ないのに、相手はその意味を推し量ろうと思考する訳ですけど、その相手の経験則や知識などからでしか解らないんですよね。
共感するという現象は、自分と当て嵌めて思考する訳ですけど。そこには詩を書いた人は希釈されています。
矢沢永吉だとか、長渕剛だとかのカリスマの書いた詩とかありますけど、あれも「こういう生き方が良い」という共感で、自分に当て嵌めていると考えてます。
逆を言えば、自分と当て嵌る部分がない、詩の書いた人の存在が強いモノは受け入れられないかな?と。
そうするとセンスのある詩ってのは世の中に対してアンテナの感度が高い人ってことです。
そう言う意味では、私の詩のセンスは地を這うが如く。
なら、何故詩を書くのか?となると、感情を乗せ易いから。
感情を乗せ易いということは内に溜め込まないってこと。
つまり…愚痴に近いモノですね♪
しかし、愚痴が聞く人を疲弊させます。聞き流されます。
それで良いのです。人の感情を真正面から受け止める必要などありはしないのです。
それでは、ピアノから何となく書いた私の詩が以下です。
「ドレミの歌」の替え歌、『どれみで愚痴』です。どうぞ。
ドはどん底のド~♪
レは劣化のレ~♪
ミは未熟のミ~♪
ファは○ァックのファ~♪
ソは疎外感~♪
ラはラリるのラ~♪
シは死にたいな~♪
さあ、歌いなさい♪
どうせ私は~♪
礼を欠いて~♪
見ないフリして~♪
不安に生きて~♪
そら、やらかすぞ~♪
ラリラリラリラ~♪
死にたがりだよ~♪
さあ、歌いなさい♪
…ふう、スッキリ!
ま、むしろこれが書きたいから延々と理屈っぽく書いただけです←
さあ、気にせず忘れましょう〜♪
真正面から感情を受け止めなくていいのだから。