段ボールを取っ掛かりに考えます。
荷物を詰めるのに使う茶色の箱、段ボール。
私は専ら漫画ですけどね。
前書きの前に。
この記事で「〇〇を取っ掛かりに考えます。」が50記事になりました。
なので…変に気合いが入ってしまい…3000文字オーバーです。
読んでくださる方、疲れるかもしれませんが、笑って許してください。
それで、段ボールと言うと…ダンボーかな?
知ってます?漫画「よつばと!」に出てくるこうさくぶ、げふんげふん。
あ、ロボットです。世界の平和を守る。中に人は入ってませ、げふんげふん。
※このブログは綾瀬恵那によって監視されて、いたら嬉しい。
段ボールで言えば、やっぱ荷物を運ぶのに最適ですけど。
やはり漫画ですね、私の場合。
段ボールに詰める荷物の8割以上が漫画関係ですね。衣服とかユニクロで同じのを気倒してますよ。
こう、私を説明すると…
ああ、そうだ。言わないといけないな。
あえて、言い切る。
実は私は「私」を知らなかった。
私は自分の言う人間を知っていました。
無精者で粗忽者で怠け者で未熟者。
「普通」であることに羨望している人間。
そんな私が行ってきました。
ナナシノエイト "名もなきオープンマイク0 松本編" 第三夜
(Facebookから)
うん、何のこっちゃか解らないですね。
唐突に話題を変えられたらね?そりゃあね?
まあまあ、聞いてくださいよ。
さて、「ナナシノエイト」とはどんなことするの?って言うと…
>>>◆ナナシノエイトとは?
スポークンワード/ポエトリーリーディングを主体としながらも、朗読の範囲にとどまらず、ダンスや芝居、落語にお笑い、楽器演奏から手品実演、紙芝居や告知雑談にいたるまで、どこまでも懐深く表現のかたちを受け入れてきたのが、長野市のネオンホールで100回以上続く「ななしの0」
その松本編が「ナナシノエイト」です。
オープンマイクのエントリーは当日でOK。
誰でもエントリーできるステージです。パフォーマンスは5分以内を目安に、最大延長8分まで。
途中入場、途中退場もOKです。>>>
ほぼ丸写しの説明文。
まあ、長野県内で活動しているみたいです。
今回で第3夜、つまり松本市でやるのが3回目ってことです。
で、ポイントは「オープンマイク」の部分でしょうね。
事前に会場の人と打ち合わせをするのではなく、その日に用意したものを持って、言わばぶっつけ本番でするってところでしょう。
その日何となくふらっと来た人が、ステージにそのまま立って今日の出来事を話すことができる位のフラットさ。
本当に何でもありで、ステージに出てFacebookに載せる写真を撮ってもらう、小説の一文を朗読する、開催されるイベントの告知をするetc…
5分(実質8分)の時間を自由に使えます。
まあ、見るだけでもOKみたいですけどね。その場合ははっきりと断ることをお勧めします。
実際、第2夜のときに私はどんなことをするのだろうか?と様子見のつもりで行ったから何も用意していなかったんですけど。
企画主さんに(人数が少なかったこともありましたが)指名されてステージに立つことになりましたから…
「やるつもりはないけれど、出ても良い」とか曖昧に答えたのが、いけなかった。
その時はざっくり自己紹介をしました。ええ、酷いものでしたよ。
私がこういうのに参加するのは特に意味がある訳ではなく。
大抵は魔が差したから行くのですけど。
そう言う所に言って話をすると、存外に面白い話が聞けるのでこういうイベントは好きなんですよ。
それで今回、第3夜では詩を自作して、朗読しました。
自作した詩は、「詩を書きます。」で投稿した内容です。
リサイクルに出ていた紙片に詩を書いて、それを朗読しました。
まず、滑舌が良くないからゆっくりと喋ることを意識して。
軽いのと重いのを声の調子で表現して。
きっかり5分で終わりにしました。ふふ、私は真面目なのだ。
しかし、あんまり手応えはなく。
やっぱ上手く行かなかったな、と一人反省会。
とか考えていたんですけど。
イベントが終わって、ちょっと話す時間があったんですけど。
端的に言えば、あれー?な回答ばかりでした。
まず、白髪のおじさまに「どもるような詩(「えっと、あの」の書き出しの)が好き」と言って頂けたんですけど。
その理由の中に「働いているところからインスピレーションを得たんでしょ?」と結構断定的に言われまして。
多分、Facebookで私の働いている所を確認したんでしょうけど。
私の言語感覚には少なからず影響はあるでしょうから、間違っていないのですけど。
どちらかと言うと、私個人の話なんですよね…上手く言葉が出ないもどかしさを表現したんですよ。
でも、「何て言うか、さらっと流す感じがとても良かった」と言われ…
誉められているのに、喜べない…素直じゃないな…
次に企画主さんと女性ゲストさん(以下ゲストさん)と紺の法被を着た男性(以下紺さん)に挨拶をして。
開口一番、「詩を発表するというから身構えていたけど、思っていたのと違っていて面白かった」と。
いや、詩を発表したんですけど?と真意を聞くと。
「よく聞く曲のフレーズがあって、みんなそれに倣うから似てくるんだけど、あなたのはあなたが詩を書いたって解る詩だった」
い、痛い…「普通」を目指す私としては、みんなが聞く曲を参考にしていないって致命的な気が…
企画主さんがいなくなってゲストさんと紺さんと会話をしたんですけど。
まず、褒める褒める。
ゲストさんが「声の密度がある」と言って頂いて。
どうやら私は声の通りが凄く良いみたいです。
声が大きいことは自覚してましたけど、「滑舌が悪くても細い所を通る」と言われて。
うーん、でももっと滑舌良くしたいな…
私は「えっと、あの」は重いつもりで話したと言えば。
紺さんは「いや、重いかもしれないけど、さらっとした感じがあって凄く良かった」と誉めてくださって。
私が「センスがないからもっとスタイリッシュにしたい」と言えば。
紺さんは「都会の人よりセンスがあるよ」と切り返され。
私が「普通になってその先に行きたい」と言えば。
ゲストさんが「今ある個性を大事にした方が良い」と諭され。
話せば話すほどにズレを感じていって…
そうなのか?そういうものなのか??
最後にイカしたおじさんに話をして。
その時には「重いつもりで」の下りを話したら。
「世に放たれたら、解釈が変わるのは仕方がない」と仰られて。
あー、このイベントのそれはそういうことなのかな?と。
頭が痛くなるほど考えてみたんですけど。
どうにも「私」と私の齟齬があるな、と気付いて。
そう言えば、Facebookでお世話になっている方にも「文章がサラッとしていて読み易い」と言われたことがあって。
私はそんなつもりで書いていないときがあり。
今までは気にしなかったんですけど。
つまり、私は私の思う人間像と周りが見ている人間像に隔たりがある、みたいです。
私はネガティブな人間だと考えているんですけど。
周りの人は私の表現する物(文章、詩の朗読)で「サラッとした」ものを感じ、それがとても好ましい解釈に取られている、のかな?
人間、内面だけではなく、外面も含めてその人となりです。
私は内面の追求をずっとしてきたので私と言う人間を知った気になってましたけど。
外面の追求はしていなかった…「私」を知っていたなど、傲りが過ぎました…
嗚呼、段ボールの中に入って何処か誰も知らない土地に郵送されたい…
さっき、椎名林檎の「ハンサム過ぎて」には「すべてを知りたいのならばもっと表面だけを見て」と歌っていました。そうか、表面か…
椎名林檎はそういうつもりじゃなかっただろうけど。
以上、長々とお付き合いありがとうございました。