高度なロボット化を取っ掛かりに考える。
機械に仕事を奪われる。
SF映画のようなAIが人間を管理する世界だ。
そんな馬鹿な、と思う方もいるかもしれないが、よくよく考えるとそれほど非現実な話ではなかったりする。
例えば。
油揚げや、かりんとうの袋に時折巻かれている巾着のテープ。
金色のあのテープを私は、人の手作業で付けていると考えていた。
一つ一つ袋の口を絞って、テープを巻いて、コンテナなりコンベアなりに乗せる様を想像していたのだ。
しかし、実際に油揚げの工場で入って、袋詰めする大型の機械に付属する機能としてテープを巻いて巾着にする。
人の手などテープの補充か、剥がれてしまった時に巻き直すかくらいで、大半は機械がこなしてしまう。
2013年のオックスフォード大学のレポートで、アメリカの労働省のデータに基づいて、702の職種のコンピュータ化によっての分析結果が面白い。
それによれば、アメリカの全雇用のおよそ47%がきわめて高いリスクに分類される、とのこと。
その失業されると予測される仕事には、ホワイトカラーや、医者や弁護士などの知的労働まで及ぶ。
機械に管理される世界、決して夢物語ではなく、現実に起こりえる未来の一つという所がミソ。
レジの自動化が話題に上がったのは何時でしょうか?機械で清算するスーパーマーケットが日本にも少なからずできるだろう。
完全自動運転の議論も出ています。その内、乗っているだけで目的地に着くようになるかもしれない。
巾着のテープでさえ、現実に今、大型の機械で音を鳴らして付けている。
ちまちまとした作業を正確に、迅速に、大量に生産できる機械が人間と取って代わるのはむしろ自然のように感じる。
最近の寿命は80歳付近、中々に先が長い。
大学を卒業してから定年の60歳までだとして。
先の長い人生の約半分が仕事だ。
その仕事がなくなるとなると、人間はどうなるのだろうか?
2008年に麻生太郎氏(当時、内閣総理大臣)が以下の発言をしている。
麻生太郎首相は7日の熊本県天草市での演説で、高齢者雇用問題に触れた中で
「世界中、労働は罰だと思っている国の方が多い。旧約聖書では
神がアダムに与えた罰は労働。旧約聖書、キリスト教、イスラム教、足したら世界の何割だ。
7割くらいの宗教の哲学は労働は罰だ」と述べた。
日本については「天照大神が高天原を見たら神々は働いていたと古事記に書いてある。
我々は働くのは正しいと思っている」と指摘した。
※日経ネット
日本の意識として、労働は尊いものというのがあり、西欧の労働は強いられるものとは一線を引く。
「働く」という漢字は、鎌倉時代に作られた国字のようだ。
働くことへの考え方は今は欧米寄りになっているのかもしれない。
いずれ、人の仕事がなくなるかもしれない。
そうした時、生き方を変えなければならない。
仕事以外の、自分のための人生を。
日本人から仕事を奪ったら何が残るのだろうか?
働くことを善としていた日本人。
西欧寄りになり、働くことは悪とした日本人。
どちらにしても、40年の空白が生まれる。
40年、あまりに長い。
何もしなくて良い環境は、駄目人間を製造しそうだ。
しかし、何かを成し遂げようとするには十二分だ。
機械に管理されても、人間には人間にしかできないことが残るはずだ。
きっとそれは今までと違う時代の幕開けになるのではないだろうか?
創造に富み、革新なアイディアが生まれ、新たな価値ができるかもしれない。
そうした時代に、人間は本当にただぼけっとしているのだろうか?いや、違う。
あえて、言い切る。
機械に仕事を奪われた方が、人間の可能性を飛躍させる。
機械に仕事を奪われるかもしれない。
私はそのことが楽しみで仕方がない。
早く、私の人生から仕事を奪ってほしい。
皆さんの人生が穏やかでありますように。