ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

147

釈然としない。

 

就業前の夕礼で、次のシフトの休日が月5日間になりそうだ。

私が入ったばかりの頃は、月9日間はあったのに、6連勤が常態化しそうだ。

 

人手不足なのは分かる。

夜勤の応募が少ないのも分かる。

寒くなると鍋物が欲しくなる、つまり油揚げのシーズンに突入して、生産が増えたために、フル稼働しないと間に合わないのも分かる。

 

分かるが、釈然としない。

連勤が常態化すると、嫌になって辞める人が出て、より休日が減らされる悪循環しかない。

油揚げの製品の量の制限をすれば良いのに、が率直な気持ちだ。

 

釈然としない。

 

台車に載せられたとある製品のカゴをパレット台の上に載せ換えるよう日直の人に頼まれた。

しかし、検品や運搬の作業をしながらだと、後回しせざる得ない。

 

そこで、ある程度、手の空いてそうなTさんに「余裕があったらで良いので、移し換えをしてくれませんか?」と打診した。

しかし、Tさんは「そんな余裕はない!」と言って、不機嫌に返事した。

人が少ないし、私も無理をしてまで載せ換えをして欲しいとは考えてないので、「それなら良いです」と素直に引き下がった。

 

しばらくして、Tさんがニコニコしながら「冷蔵庫のアレ、載せ換えてくれない?」と言ってきた。

私は、「ちょっと、今は厳しいですね」と答えると、Tさんは、「じゃあ、誰か一人引っ張ってくるよ」と返した。

その後、新人さんを一人引っ張ってきてくれて、載せ換えができた。

 

大変有り難い。

感謝している。

Tさんの機転には助かった。

 

助かったが、釈然としない。

最初にお願いしたのは、私なのに、何故か、Tさんが私にお願い、指示する形になっているのか?

最初の返事は不機嫌だったことから、意趣返しでマウントを取りにきたのだろうかと、嫌な想像をする。

 

釈然としない。

小学生向けのクイズで、「オレンジは英語、ぶどうは日本語、ではアップルは?」の答えが「リンゴ」だったように、釈然としない。

家事の手伝いや勉強をさせようとする時には、「〇〇さんだって〜しているのに」と言うのに、買って欲しい物があってこちらからお願いすると、「ウチはウチ、ヨソはヨソ」と袖にされた時のように、釈然としない。

 

釈然としないが、飲み込むしかない。

捏ねくり回しても、事態が変わる訳ではない。

一人、ひっそりと、身に巣くった毒を、溶かして捨てる。

 

投稿します。

錆び付いても獅子、その威厳、斯くあるべし。

ドアノッカーを取っ掛かりに考えます。

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玄関の出入り口の扉に付いている、ドアをノックする建具である、ドアノッカー。

ライオンのデザインが主流ではないだろうか?

借家の玄関も、多分に漏れず、ライオンだった。

 

当ブログを始めた当初は、身の周りの物から考え付いたことをせっせと書いていた。

原点回帰、とは違う、単にネタに困ったから身の周りの物に手を付けただけだ。

強いて言えば、ライオンと目が合ったから、今回はドアノッカーについてだ。

 

使ったことのある方はいるだろうか?

圧倒的多数で、インターフォンでピンポーン、と鳴らす方ではないか?

わざわざ、あの輪っかを持ち上げて使う人は少数だ。

クラスの2、3人は「佐藤」と「鈴木」くらい、圧倒的多数と、「一口」と書いて「いもあらい」と読むくらい少数の、歴然とした差がある。

 

輪っかを持ち上げると、結構、重厚な感触がある。

手を離すとドアに向かっていき、ドッと、これもまた中々に低い音を出す。

来訪者を報せる、ドッと鳴る低い音は、インターフォンにはない趣がある。

 

ドアノッカーを装飾だと勘違いしている方もいるのではないか?

私も、ドアを叩く建具であることは、大分歳を取ってから知った。

 

あの厳めしいライオンの顔が玄関らしい風格を醸し出しているようにも感じる。

ただ、この建具は、ほぼ使われることはない。

もし、取り外しても、差して問題もない。

 

だが、あえて言い切る。

 

錆び付いても獅子、その威厳、斯くあるべし。

 

風雪に耐え、幾早々、身体は錆び付き、たてがみはくすんだ、獅子。

然れど、眼光尚鋭く、来訪する者に威厳を示す。

何時か、己の役目を果たすために。

 

ドアをノックすることが、ドアノッカーの役目ならば。

私の役目は一体、何なんだろうか?

社会の中で、取るに足らない存在の私と、ドアノッカーの在り方を勝手に重ね合わせる。

 

私も自身に課せられたであろう役目を全うしたい。

ドアノッカーを見て、そんなことを考えた。

146

十五夜の夜を明けた今日、空高く、葉が黄色く色づく様を、太陽が優しく照らしている。

長ネギの先も枯れて、景色は益々、黄金色。

 

今日から夜勤7連勤の私は、世間の流れに疎く、翻弄されるがままだ。

北朝鮮のミサイルで騒いでいたのに、今や衆議院選挙で持ちきりだ。

 

世の潮流など何処吹く風、私は私の道を行く。

久方ぶりに書店に寄る、妹へ手渡す祝儀袋を買うためだ。

 

一選びして、ふらりとライトノベルのコーナーへ。

そこに目に入る、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」の最新刊。

 

待ちわびた、本当に。

ライトノベルでいうと、ブギーポップシリーズと同じくらい、好きな作品。

逸る気持ちを抑え切れず、るんるんと浮き足でレジへ。

 

東京や福岡や大阪だったら、こうしたサブカルチャーの情報もいち早く手に入るのだろうか?

私にとってはかなり重要な情報なのだが…

それよりも、ラスベガスの銃乱射事件の方が重要か。

 

情報の取捨選択は、人に拠りけり。

だけど、テレビを着けず、インターネットもそこそこに、寝てばかりの私には、そも情報が手元にないのが普通だ。

最近は「嘘告」?が流行していると聞いて、そんな冗談、笑えないなと感じる次第。

 

世の常など知りはしまい、私は私の道を行くだけ。

こうして、空気を読めない人間が出来上がる。

 

そんなことはどうでも良い。

取り敢えず、腰を据えて、ライトノベルを読みたい。

いやしかし、今日から7連勤…11日には妹の結婚を際して、両家の顔合わせ…12日の3連休は日光東照宮とナナシのエイトを予定して…

 

嗚呼、もっと早く気付けば!

昨日の夜なら、一晩、読めたのに!

私の馬鹿!間抜け!腐った生ゴミ

貴様など、誰も来ない森の奥深くで足からキノコを生やしほどに横たえて、独りすすり泣きながら死に絶えてしまえば良い!

 

後悔は先に立たず。

仕方ない、一先ず、身体を洗ってから。

考えても栓なきこと、もう買ったのだからと気持ちをスイッチする。

 

私は、私の道を行きたい。

ただ、できれば、世間の動向も察知したい。

我が儘だろうか?

 

黄金色の景色の中、トンビが鳴いている、気がした。

 

投稿します。

145

寝た。

毎度毎度同じことを書く。

 

毎回、目を覚ますと「嗚呼、これは途切れてしまったか」と感じる。

何が途切れるか?

もちろん、当ブログの継続期間が、である。

 

いつも起きる時間より、ずっと寝ているから、外の暗さが私を揺さぶってくる。

しかし、時計を見ると、まだ日も跨いでいないことに驚く。

意外と1日は長いことを、毎回のように確認する。

 

ただ、何時かは日を跨ぐこともあるやもしれない。

何せ、寝る欲求がとても強い。

 

「寝ること」への欲求がどん欲なのは、読者の皆様には、もう周知の事実だろう。

これから先に新しくなるかもしれない読者の方が居たとしても、かなりの確立で「眠い」、「寝た」ことの記事に当たるのも容易に想像できる。

 

ただ、毎回書くにしても、アプローチは変えていきたい。

毎回、「どれくらい寝たか」という時間の長さを語っている。

今回は、趣向を変えて、「寝るためにどんな手段を行っているのか」という、寝るためのアプローチでも書いてみる。

 

皆さんは「立ち寝」をしたことはあるだろうか?

床などで横になるのではなく、立ちながら、寝るのだ。

私は式典等で、周りの様子を見ながら、目を閉じて数秒の「立ち寝」を敢行する。

ただ、意識が手放しそうになると、膝からガクッとよろけて、目が覚めるので、本格に寝ることはできない。

 

元来、私は眠りが浅いので、数秒の短い時間でも、目を閉じられるのであれば、閉じていたい。

電車の中は端の方に陣取ることができれば、背を押し付けながら立って、寝ることができる。

座って寝るより、寝れないが、寝ないよりはマシだと考えている。

 

この数行を読んで、「私も立って寝たことがある」という強者もいるかもしれない。

では、「歩き寝」をしたことはある方はいるだろうか?

歩きながら、目を閉じるのだ。

 

「立ち寝」に挑戦して、微量だが寝れることを知った私は、「立ち寝」ができるならば、歩きながらでも寝れるのではないか?と考えた。

物や人にぶつかる心配がなく、溝や石などで足を取られる心配のない広い敷地で、移動しなければならないときに、私は目を閉じて歩きながら、寝る。

 

「目を閉じて歩くのは怖くないか?」と考える人もいるだろうが、私はそれよりも寝たい。

それに、存外、まっすぐ歩けているものだ。

身体が傾げば、方向がズレたことが分かるのだから、少し目を開けて方向を補正すれば良いだけだ。

時間にして、3秒くらい、距離にして数歩だ。

感覚としては「寝た」というのはないが、それでも寝たいから、これからもタイミングがあれば寝ようと考えている。

 

「まさか、自動車の運転のときに居眠り運転をしていないか?」と危惧される方もいるだろう。

流石の私も命の危険を感じるので、自動車で運転していて眠くなったときは、停めてから寝る。

…いや、白状するならば、自転車でならしたことがある。

 

自転車である、自力で漕いで動かすタイヤ二つの、あの自転車だ。

パッと見、自動車に見えた方は、通報は控えて頂きたい。

…自転車も刑法にひっかかるのだろうか?いや、もしそうだとしてももう時効だ、多分。

 

不安になってきた…これはもう一眠りする必要がある。

寝てしまえば、忘れてしまう、些細なことだ。

さあ、寝よう、そうしよう、現実から逃れよう!

 

投稿します。

144

夜となれば、山からの冷気が日中の熱気をさらっていく。

寒がりの私には、辛くなってきた。

骨と皮しかないから、寒さが身に堪える。

 

まだ秋だが、もうストーブを運転しようか検討する。

暑い時は、クーラーなど使わないのに、寒くなるとすぐストーブを使いたくなる。

夜は、仕事だから、見送っているが、近い内に使うことになる予感。

 

そう言いながらも、昼間は少し暑いくらいだ。

それに、掛け布団を冬仕様にすでに変えている。

つまり、まだストーブは必要ない。

 

耳を食むほどに、歯が噛み合わないほどに寒い訳ではない。

窓ガラスが薄く曇り程度で、我慢できない訳ではない。

だが、できるなら、寒くない方が良い。

 

思い返せば、小学生の頃から寒いのは苦手だった。

そして、小学生石油ストーブが好きだった。

 

朝一でクラスの誰よりも早く来て、ポリタンクが仕舞っている倉庫に出向いて、自分のクラスの石油を貰ってきた。

そうして、石油を石油ストーブに入れ、点火して、赤く灯るのを眺める。

石油ストーブの周りを布ガムテープでバミってあって、石油ストーブに近付き過ぎないようにされていたが、私は出来るだけギリギリまで線に寄っていた。

背中側が暑くなったら裏返って、顔が暑くなったら背中に戻してを繰り返していた。

 

そうしたことを冬の間はずっとしていた。

中学は、学校管理だったが、高校では、私がほぼ毎日石油を入れて、点火していた。

寒いのが嫌だったから、誰に言われた訳でもなく、ずっとやっていた。

 

更に人気が居なければ、窓側でカーテンに包まりながら、日向ぼっこもした。

天気が良いときは、中庭で大の字になって横になっていた。

今考えれば、当時から内向きな性格だった。

 

こうして記事を書いている、背中側に、丁度日差しが入って、温い。

寒いのは苦手だが、日向ぼっこの温かさは好きだ。

それに、ストーブの前で汗をかくほどにじっと座っているのも、好きだ。

それから、コタツでは、バニラアイスを食べながら潜っているのは、至福だ。

 

できれば、寒くない方が良いが、寒ければ寒かったで、楽しみ方はある。

身震いする寒さに私の心もさらわれていく。

 

投稿します。