ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

151

3連休、突入。

早速、寝倒す。

 

予定として。

まず、13日の朝まで寝る。

ぶらぶらする。

20時にナナシのエイトに参加する。

深夜、茨城県の道の駅へ。

14日の朝から、日光東照宮へ。

夕方戻る。

ライトノベル「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」を読破する。

この合間合間に記事の更新、食事等もする。

後は、時間いっぱいまで楽しむのみ。

 

完璧な休日ではないか。

ミロのヴィーナスのプロポーションにおける黄金比のような、完璧さだ。

 

とかく、まだ初日。

誰が何と言おうと寝てやる。

昨日の徹夜分もあるから、よく寝ないと身体に悪い、というのもあるが。

 

予定の詳細は、ここで付け足す。

770文字は目指す。

何気に「770文字を毎日書く」を目標に据えて1ヶ月は過ぎた事実に、顔がにやけてしまう。

きちんと背伸びできているだろうか?少し、不安でもあるが。

 

予定の詳細。

取り敢えず、13日の10時くらいまで寝た。

12日の10時くらいから寝ていたので、約24時間、寝たことになる。

それから、18時くらいまで、家の中でゴロゴロした。

13日の日中はこうして消費した。

 

20時からは、ナナシのエイトに参加。

「私」の境目について話す予定。

恐らく、23時辺りで終わるだろう。

 

そこから、茨城県に行くつもり。

目的は、日光東照宮

三猿、眠り猫、陽明門に見れれば満足。

更に人形の撮影がする予定。

紅葉していることを少しばかり、期待してしまう。

 

4時間くらいで、茨城県の何処かの道の駅で、一眠りして。

14日の9時くらいから、日光東照宮へ。

そこから…時間を見て、日光江戸村かな?そこはGoogleさんに聞いて決めます。

 

夕方に出戻って、パーキングエリアで一休み。

15日の朝に帰宅してから、例の!ライトノベルを読む。

今回は、中々の分厚さなので、就業前までに読み切りたい。

 

次の連休は、一月先。

精神の安息をこの連休で、しっかりする。

一月先まで、ひたすらに日々が過ぎ去る未来が待っている。

この完璧な休日を完璧に楽しむ、のみ。

 

以上、予定の詳細。

 

150

着慣れない黒のスーツを着て、今、地元穂高にある、穂高神社参集殿に来ている。

今日は、妹と婚約者とその両家の家族写真撮影だ。

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昨今、披露宴、結婚式をしない人たちが主流になっているように感じる。

お金をかけて式を上げるよりも、式を上げずに先々のために貯金する、堅実で質素な考え方は、現代の人間らしい考え方だろう。

妹も現代っ子らしく、結婚式は上げない。

 

母は、それでも、妹の晴れ姿を見たいと切願し、無理言って、家族写真撮影をさせてもらうことになった。

鏡に映る、スーツに着られている子どもにしか見えない私は、滞りなく進むのか、妙な緊張と心配で手を揉む。

 

今日は、石川県に住んでいる姉が昨日の深夜に長野県入り、朝から妹の支度の様子を母に代わって撮影しているようだ。

支度に時間がかかるようで、待合室で待つようお願いされる。

しばし、婚約者の母と我が家の母は歓談して、首を長くして待つ。

父と私は、所在なくあちこち歩き回る。

 

1時間くらいして、二階から妹と婚約者が階段を降りてくる。

姉も私も手持ちのカメラで撮りまくる。

カメラマンさんも容赦なく撮りまくる。

穂高神社に移動中を撮り、鳥居の前で撮り、本殿の前で撮り。

家族全員で撮り、姉妹で撮り、両親で撮り、妹一人で撮り。

とにかく、撮って撮って撮りまくった。

 

これだけ撮ったのに、今度は白無垢を羽織って、まだ撮るらしい。

婚約者の母は、疲れてしまっていた。

私も足が重くなったが、夜勤明けで寝てない性か、逆にハイテンションで、この後が怖い。

 

終わるのが、15時過ぎになりそうだ

そうすると、昼食は外食するには微妙な時間帯になりそうだ。

 

ただ、妹がとても幸せそうに微笑んでいる。

多少の疲労も、秋の日差しと、優しい幸せの中でゆっくり溶けていく。

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(写真は、白無垢の妹、よく晴れて良かった。14時前にすべて終わった)

 

今日はとても、とても善き日だ。

 

投稿します。

149

仕事で怒られて、凹んだ。

120%、私が悪いので、落ち込んだ。

 

大魔人と言われた佐々木主浩氏のフォークボールのように、落ちた。

枯れ葉が風に吹かれて、真っ逆さまに地面へいくように、落ちた。

 

悲しいかな、落ち込んでいても、仕事はなくならない。

凹んでも、怒った相手と話をしなければならない。

 

消え入りたいと考えながら、黙々と仕事を終わらす。

どうして私は、普通の人間が持ち合わせるものが欠けているのか?

どうして私は、普通の人間がこなせることができないのか?

嗚呼、もう、消えてしまいたい…

 

そんな気分のまま、帰宅後、一眠り。

用事があるので早めに起きて、隙間時間に漫画「おおきく振りかぶって」を読む。

 

すると、メンタルトレーニングについて書かれていた。

メンタルは科学的に鍛えられるそうだ。

そして、ネガティブ思考はポジティブな行動を繰り返すことで、ポジティブ思考になるそうだ。

 

衝撃、私の脳髄へ。

 

いや、メンタルトレーニングは知っていた。

ただ、ポジティブ思考になろうの謳い文句が受け付けられなかった。

ネガティブ思考であることに偏愛している。

 

ただ、読むと、「技」や「体」は日々、鍛えるのに、「心」は鍛えていない。

「心」を鍛えていないのに、いきなり本番で実力を発揮しろ、という。

それで、結果を出さなければ、「プレッシャーに弱い」、「気合いが足りない」と言われる。

しかし、「心」を鍛えていないのだから、実力を発揮できないのは当然だ、と。

 

おおきく振りかぶって」はかなり緻密に理論立てて、具体した練習方法を描いている。

子どもに野球を教えたい人は、かなり参考になるのではないか?

 

大変分かりやすく、一読後、豆腐メンタルの私は、メンタルトレーニングの認識を改めることにした。

 

なるほど、顔を上げる、しっかり挨拶するなどの積み重ねがポジティブにするのか…

確かに、私はある意味で望んでネガティブになろうとしている。

しかし、場合によりけり、時にはポジティブにならなければならない場面もあるだろう。

 

存外、そうした自分の振る舞いを正すのは、何処かしら必要なのかもしれない。

せめて、人と関わる一瞬は、ポジティブであろう。

悔い改めて、省みる、私の振る舞い。

 

つまり、落ち込んでいても、仕方ない。

反省して、次に活かすしか道はない。

とにかく、顔だけは上げていこう。

 

漫画を読んで、少し元気にもなった。

今日も一先ず、仕事をする。

 

投稿します。

148

出てこい、言葉よ、出てこい。

私の頭の中に、言葉を表記せよ。

出てこい、出てこい、出てこい…

 

出てこない…気分も氷山にぶつかったタイタニック号のように、沈む。

仕方ない、適当にタイピングするか。

 

最近は、変なギアが入って、書き散らかしていた。

チラシの裏の落書きのような、しょうもないことばかり。

 

私の思考はいつも迷走する。

考えなければならないことは、一切考えず。

考えなくても良いことばかり、拘り続ける。

 

童謡の歌詞の考察など、考えなくても良かったのに。

何故か、考えてしまった午前中。

今後の人生プランだとか、税金の仕組みだとか、知らなければいけない、考えなければならないことは山ほどある。

しかし、面倒と三度三度唱えるのさえ面倒なほどに、考えず。

 

迷走し続け、自分が何処にいるのか、何処へ向かっているのか定まらない。

それなのに焦りは全くないのが、人としてどうなのだろう?と悩む。

悩む、素振りをしているが、本当に悩んでいるか?と問われれば、自分でも分からない。

迷走している故に、悩みさえ、置き去り、背負い込み、また忘れ去りの繰り返し。

 

出てこい、言葉よ、出てこい。

意味があるような、ないような、どっち付かずではなくて。

ハッキリとあるのか、ないのか、明確は言葉よ、出てこい。

出てこい、出てこい、出てこい…

 

やはり、駄目だ、全く考えられない。

疲れなのか、気持ちの問題なのか、外部の影響なのか。

曖昧模糊な純白な思考の波間に、私は溺れてしまいそうだ。

 

思考の方向性、未だ、決められず。

引っ張り過ぎなのは自覚しているが、書こうとすると、ふっと蜘蛛の子を散らすように言葉が散開して、拾い切れない。

書かなければ、まとめなければ、と考えれば考えるほどに、冷たい水で心臓が止まりそうになる。

 

駄文としては、優秀なのだが、読み返した時に、果たして良いのか、分からない。

分からないが、向き合うしかない。

己の思考と感情に、向き合うことができるのは、他ならぬ私なのだから。

 

出てこい、言葉よ、出てこい。

私に詰まらない記事を書かせておくれ。

私の本性を暴いておくれ。

 

嗚呼、まとまらないが、どうにか書けた。

唱えるのも、一苦労する。

 

投稿します。

桃太郎は、鬼よりも怖い鬼だ。

桃太郎の童謡を取っ掛かりに考える。

 

童謡、子ども向けに作られた歌。

親しみ易い音楽と歌詞で作られている。

 

その童謡に「桃太郎」の童謡があるのはご存知だろうか?

歌詞は以下の通りである。

 

桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたキビダンゴ
一つわたしに 下さいな

やりましょう やりましょう 
これから鬼の征伐に
ついて行くなら やりましょう

行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
家来になって 行きましょう

そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島

おもしろい おもしろい
のこらず鬼を攻めふせて
分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや

万万歳 万万歳
お伴の犬や猿キジは
勇んで車を えんやらや

 

桃太郎 童謡・唱歌 歌詞と試聴

 

かなり過激な歌だ。

私は、前半の「♪行きましょう」までは知っていたが、「♪そりゃ進め」からの進撃は知らなかった。

「つぶしてしまえ」とか「おもしろい」など、桃太郎のサイコパスな気質が見え隠れする。

漫画「ピーチボーイリバーサイド」の桃太郎像に近い印象がある。

 

そんな「桃太郎」の童謡に、私はある疑念を抱いた。

キビダンゴに対して、鬼が島への征伐参加は、労働の提供の対価として釣り合っていないのではないか?

 

おそらく日本本島から数kmは離れた島に「鬼が島」があるのだろう。

時代背景に室町時代から江戸時代ではないか、とWikipediaにあった。

当時、追放よりも重く、死罪の次に重いとも言われた刑として「島流し」がある。

室町時代の中期から末期には、落ち武者狩りがあって命の危険があり、実質、死刑と同じ機能を有していた。

この点から、「鬼が島」に行く事自体、命がけなのだ。

 

その上で、「征伐」である。

「鬼が島」の名前から、鬼の本拠地ではないだろうか?

時代背景から見ても、相当な悪党が群雄割拠しているイメージがある。

酒呑童子茨木童子のような凶悪な鬼がひしめいている、そんな場所に攻め込む訳だ。

命が幾つあっても足りない。

 

その鬼が島への征伐参加の報酬が、キビダンゴ1つである。

日本一のキビダンゴだとしてもだ、キビダンゴ1つだけで命をかけられるものだろうか?

しかも、「家来になって」と言っている。

対等な立場ではなく、自ら仕える立場になると宣言しているのだ。

 

可能性を考える。

 

1つ、「鬼が島への征伐」を理解していなかった説。

言われた提示の内容より、目先のキビダンゴに目を奪われ、「何か「おにがしま」まで着いて行けばもらえる?なら、行きます!」と安直に飛びついただけではないか。

何せ、野生の動物である、まさか、死に物狂いで戦わされるとは考えもしなかったのではないか。

可哀想に、最後には重い金銀財宝が積まれた荷車をエンヤラヤと運んでいる訳です。

キビダンゴを貰うために、鬼の征伐に財宝の運び出しまでさせられている。

ただ、「勇んで」とあるので、嫌々やっているようではないのが救いか。

何れにしても、何も知らない動物を酷使するとは、桃太郎はブラック企業の社長か?

 

2つ、最初から、桃太郎に着いて行くことを狙っていた説。

犬、猿、キジがもし話しかけなかったら、桃太郎は単身一人で「鬼が島」に行くつもりでいた。

そして、事実、「のこらず鬼を攻め伏せて」いる。

桃太郎の放つ危険な気配を野生の動物が見抜けないのか?

いや、強き者であることを見抜いた上で、話かける話題として、キビダンゴをくださいと言った。

桃太郎も、野生の動物たちの魂胆を見抜いて、仕掛ける。

犬、猿、キジは感服し、平身低頭で桃太郎の家来へと喜んでなった。

強い者に着いて行く、昭和のヤンキーのようだ。

 

3つ、キビダンゴの報酬は命をかけるのに等しい説。

食料が手に入るのが難しい時代、キビは貴重な食料だ。

それは、人間に限らず、野生の動物にとっても、厳しい自然の中、生き残るためには必要だ。

犬、猿、キジは座った目で、「キビダンゴを1つください(威圧)」と言ってきた。

しかし、桃太郎は、「鬼の征伐について行くなら」と切り返す訳だ。

桃太郎の立場で言えば、キビダンゴを手渡せば、最悪飢え死にする、地獄への一本道だ。

お前、命かけられるのかよ?と桃太郎は問うているのだ。

犬、猿、キジは桃太郎の眼光と決意にハッとし、肝を据えて「行きましょう」と応じる。

鬼が島の描写から、指定暴力団の頭と幹部のようなやりとりが伺える。

 

4つ、キビダンゴに中毒性の何かがある説。

命を落とすかもしれない道中である。

普通、まともな精神なら、一歩も前へ進まない気がする。

しかし、歌詞にあるように「♪エンヤラヤ」、「♪万々歳」とノリノリで鬼の征伐をしている。

そして、この歌詞、犬、猿、キジがキビダンゴをねだる所から始まる。

もし、すでにキビダンゴを犬、猿、キジが食べた後だとしたら…

つまり、キビダンゴには気分が高揚して可笑しくなる成分が含まれている可能性がある。

全員、ジャンキーである。

この説の怖い所は、キビダンゴを持たせたのは、おばあさんという点だ。

おばあさんは桃太郎に恒常してキビダンゴを食べさせていた、かもしれないのだ…

 

以上から、私は思い描く。

あえて、言い切る。

 

桃太郎は、鬼よりも怖い鬼だ。

 

どう思考しても、桃太郎の反社会性が出てきてしまう。

よく考えてみたら、脇差しで鬼を征伐するほどの武力は、おじいさんおばあさんの仕込みか?

4つ目の説から考えても、桃太郎の育った環境が悪かったのかもしれない…

 

童謡は意味を考え始めると、怖い。

桃太郎も例外に漏れず、怖い。

いや、これは童謡の桃太郎だ、本での桃太郎はまた別だ。

良かった、怖い桃太郎は私の作った幻影だったか。

………幻影であるとしよう、そうしよう。