ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

311

はた、未だ書いてないことに気付く。

すわ、急いで書き始める。

はて、何を書こうか、思案する。

 

春、桜の花びらがゆるり舞う。

何故、桜の散るのは儚いのか?

など、高尚な精神もないのに歌舞く。

 

そも、咲いたのなら散るのは物の道理だ。

何時、桜が咲こうが、散ろうが人には関係ない。

ただ、桜の散ることに人が都合良く心情を乗せるだけだ。

 

あの、桜の散る様に心情を乗せるのは、どうしてだろうか?

斯く、心情を乗せるのに、桜の散る様が丁度良かったのだろう。

嗚呼、また一片、桜の花びらが舞う。

 

また、下らないことを宣いながら、投稿する。

私の名は、「上の小枝の怠け者」だ。

今週のお題「自己紹介」

 

4月、それは出会いの季節だ。

新しい環境で、新しい生活を始めれば、新しい出会いがある。

そして、新しい出会いがあれば、お互いに自己紹介をする流れになるだろう。

 

だから、今週のお題が「自己紹介」なのは至極当然の流れだ。

しかし、タイミングが悪い。

ちょっと前に自己紹介した記事を載せたばかりだ。

uenokoeda.hatenablog.com

 

もう少し、早くやって欲しかった。

そうすれば、楽ができたのに。

我が儘を言っても仕方ないので、改めて自己紹介の記事を書く。

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__________

上記の記事で察するやもしれぬ。

のんべんだらりとした男が、私だ。

小さな、些細なことに拘り続けている。

枝の先の蕾のように、頑なに、だ。

のそりと、重い身体を引き摺る毎日だ。

怠惰の塊の私は、脆弱な私でもある。

けだし、その脆弱さが私とも言える。

者共と足並みを揃えようと顔色を伺う。

はみ出さないよう、私に言い聞かせる。

詰問される、「普通であれ」と。

ままならない、ままならない、本当に。

らっぱーみたいに言葉を紡ぎたい。

なし崩しでなく、確度ある言葉が良い。

いつも、それでも、言葉が詰まる。

この情念は、何処へ行けば?

と、また私は「私」に問いかける。

ををい、ををい、と問いかける。

延々とををい、ををいと問いかける。

延々と「私」に問い続けている。

とらわれて、また、顔色を伺う。

書く自己は、矛盾か、ダブスタか。

くらべることは良い、と濁して逃げる。

。で完結する日は、未だ見えず。

 

__________

 

ううん、こういう感じで良いだろうか?

いつものことだが、正解が分からない…

あまり長く自己紹介を書いても、意味がないように感じる。

 

さっと読んで、何となく分かれば良いような気がする。

要は、上記の自己紹介を書くような人間だ、と他者が分かれば良い訳だ。

分かるだろうか…分からないだろうか…?

 

取りあえず、タイトルをどうしようか…

やはり、自己紹介だから、普通に名乗りからか。

再々、改めて、言う。

 

私の名は、「上の小枝の怠け者」だ。

 

長いから、「上の小枝」でも「小枝」でも「怠け者」でも「ののけ者」でも好きに省略して構わない。

どの呼び方が良いか迷うなら、私は「上の小枝」、次点で「ののけ者」を推す。

面倒なら、「あれ」でも一向に良い、お好きな呼び方で。

 

再々、改めて、無精者ですが、これからも当ブログを宜しくお願いします。

310

くしゃみが最強に出た。

ゴム耳かけが伸びて、顔表面とマスクに隙間が生じるような、くしゃみが出た。

2回ほど、くしゃみをすると軽く頭が振れて、前屈み気味になった。

 

鼻をすすりながら考える。

何故、くしゃみが出るのだろうか?

鼻の粘膜に何かゴミでも付着しているのだろうか。

 

陽気の良い外に出ると、決まってくしゃみが出る。

太陽の陽気に陽気に空気が小躍りして、私の鼻腔をくすぐるのか。

鈍感が根幹にある私は、発汗する晴天の下、簡単に散々するくしゃみを達観した気持ちで淡々と毎度する。

 

もし、まかり間違って、私の脳がくしゃみと共に口や鼻から出たらどうしようか?

最強のくしゃみをした後、妙に不安になる。

もしや、くしゃみをする度に私の知性も出ていってしまっているのか?

 

無用な心配ではあるだろう。

平日の映画館で鑑賞するマイナーな映画のスクリーン会場のように、閑散とした私の脳内から今更、知性など幾らもない。

「幾らも」とは言う傲慢さは、くしゃみと共に出ていって構わないのに。

 

今はくしゃみは出ていない。

鼻がむずってもいない。

当分は出なくて良い。

 

呆けた顔して、投稿する。

309(映画「グレイテスト・ショーマン」)

昨日、鑑賞できなかった映画を夜勤明けに来る。

グレイテスト・ショーマン」をこれから観る。

いやはや、まさか上映されて2ヶ月経とうとしていて、4月5日で松本での上映は終了するとは、危なかった。

グレイテスト・ショーマン - Wikipedia

 

観に行こう、観に行こう、そう考え。

気付けば、もう、4月か。

いや、これから観れるから、良しとしよう。

 

観賞後のことは、追って当記事に書き足す。

取り敢えず、今週中はちまちまと書く。

と言っても、映画の大体のあらすじとその感想を数行くらいだから、大したことは書けやしないが。

 

12時35分上映なので、1度ここで止める。

再開予定は…恐らく、深夜だろう。

 

__________ 

 

再開、日を跨いで、4時過ぎから。

まずは、大体のあらすじでも書く。

 

アメリカに実在した興行師P・T・バーナムの半生を描いたミュージカル映画だ。

仕立て屋の息子として生まれたバーナムはお得意様である上流階級の邸で、その邸のお嬢様のチャリティに出会う。

2人は惹かれ合いますが、父親の方針でチャリティは女学院(花嫁学校とか言っていたような…?)へ行き、2人は離れ離れになる。

2人が離れている間に、バーナムの父は亡くなり、孤独と貧困の中、バーナムは逞しく生きます。

バーナムは時折、郵便配達人の目を盗んでは、鞄に手紙を押し込み、チャリティとの文通をし続ける。

そして、成人し、稼ぎのある男になって、チャリティを妻に迎え、2人の女の子を授かり、幸せな家庭を築く。

 

ここまで冒頭10〜20分位だろうか、とにかく、ストーリーが音楽に乗せて、どんどんと流れていく感じだ。

いきなり歌い出すミュージカルに物語を分断しないだろうか、と抵抗感があった。

しかし、意外と歌があるお陰で逆にぐいぐいと物語を引っ張っていく。

展開の早い映画は好きなので、ミュージカルは私の性に合っているのかもしれない。

 

成人になったバーナムは何度も職を変えて働くが、一向に貧乏から抜け出せない。

そこで、バーナムは銀行を騙し(南シナ海に沈んだ船を担保にするあくどさ)、蝋人形館を買い、博物館として運行するも、客足は遠かった。

しかし、バーナムは幼き日の思い出や、娘達のヒントから、個性的な見た目の人を集め、見世物小屋として再スタートした。

これが大ヒット、反感を買いながらも、見る間に成り上がっていく。

 

しかし、それに満足しないバーナムは、新しい相棒フィリップを招き入れ、フィリップの伝で、英国の女王陛下の謁見をすることになる。

その謁見の場で、欧州ですでに成功していた、オペラ歌手のジェニーと運命的な出会いをして…

 

ある意味で、本映画のもう1人の主人公はフィリップですかね。

何せ、フィリップの恋物語が結構な尺で取られてますからね。

バーナムがフィリップに一緒に仕事をしようと誘うシーンでの、丁々発止の歌のやり取りは面白かった。

それと、物語中、本物の歌姫として紹介されているジェニーは…物足りない。

線が細い、と言うか、オペラ歌手らしくない、と言うか…

綺麗な女性ではあるのだろうが、歌は普通で、拍子抜けしてしまった。

歌よりも見た目が重要だったのかもしれない、と何となく考える。

 

これ以上のあらすじは書かないが、この映画の、私が一番聞きたかった「This is me」は、映画でも最高の気分に成れる、素晴らしい歌だ。

歌の前の導入が良い、それでも、拒絶されても立ち上がる気概にグッと来た。

ただ、私は映画で装飾された「This is me」より、以前に当ブログで紹介したワークショップの方が奇跡だと感じて、若干の比較をしてしまった。

と言いつつ、エンディングロールで流れた「This is me」で気持ちが昂って、涙ぐんでしまったので、この歌には敵わないな、と感じる。 

uenokoeda.hatenablog.com

 

 

取り急ぎ、映画サントラをどうにか購入したい。

いや、本当に、どうにか購入したい。

未だ、発売されていないのだろうか?そわそわしてしまう。

 

今回の鑑賞で私が学んだことは、ミュージカル映画は侮ってはいけない。

歌の力は偉大で、人を魅了する。

つまり、食わず嫌いは良くない、ということだ。

 

素人が端的に映画の感想を書き記した記事を、多少の思いを乗せて、投稿する。

308

松本まで映画を鑑賞しに出かける。

しかし、観たい映画が18時以降しかない。

19時から仕事の私は、不貞腐れる。

 

仕方ないから、いつもの書店で漫画を漁って買う。

「凪のお暇」を駐車場に停めた車内で読み耽る。

空気を読み過ぎて過呼吸になった主人公の話に、一喜一憂する。

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と、ドアの向こうから声がかけられた。

長時間、駐車場に居過ぎたか?と恐る恐る窓を開ける。

そこに居たのは、2人の女性で、保険のアンケートの協力をお願いされた。

 

私は、適当にアンケートに答える中、ポジティブな声かけをしてくる。

その声かけにも、ぞんざいな態度で答える。

内心、どうして私に構うのだろうか、胸が痛む。

 

アンケートに答えた後、すかさず、「休日は何時ですか!?」と聞いてきた。

その時に顔を上げて、相手の顔を見てしまった。

とても荒れた肌をした女性が、頑張って和やかに笑っている、そんな顔を見てしまった。

 

日中、駐車場で漫画を読み耽っているような男に話しかけるのは怖かろう。

その男が、あまり気乗りしない返事をしているのに、笑顔でいるのは辛かろう。

春の日差しは厳しく、容赦ない紫外線を浴びながら、なるべくポジティブな言葉で話しかけ続け、どうにか話を漕ぎ着けたい様は痛々しい。

 

手渡された名刺に「社内認定アドバイザー」と書いてあった。

社内認定、とあるからには、何かしらの試験を突破した訳だ。

すわ、悟る、目の前の人は頑張る人だ。

 

どうにも、ぐいぐい来る人を上手に断れない。

話しかけられると、一度話を聞いてしまう。

話を聞くことは優しさでも何でもないのに、どうしても振り切れない。

 

肌のケアにもっと時間を割いたら良いのに、と考えてしまう。

こんなどうでも良い男に時間を費やすより、もっと真面目で素敵な男性を捕まえることに時間を割いた方が建設ではないだろうか?

否、ストレスを感じながらも、懸命に頑張る人の幸せを私が規定して良い訳がない。

 

重い口が開く、「次の休みは…」、相手はすかさず場所を決めてくる。

分かっている、契約をするつもりもないのに、こんなことは時間泥棒に他ならない。

しかし、どうにも振り切れない、断固した断る理由が私にないことも、振り切れない甘さに加担する。

 

次の休日、資料を用意して、話を聞くことになった。

多分、サインもするかもしれない。

こうしてカモられる人間は、何時までもカモられるのだ。

 

手元の「凪のお暇」を見る。

空気を読み過ぎて、不幸になる女性の話と、何となく自分とオーバーラップする。

いや、私の場合は、私がどうなろうと、それは私の自己責任だから何のダメージもない。

 

ただ、私のような些末な人間にも声をかけなければならない営業の人たちを憐憫する。

カモられるのが悲しいのではなく、カモるために必死になっている人たちが痛々しくて耐えられないのが悲しい。

もっと、お金も余裕も時間もある、そうした人をカモった方がお互いに幸せになるのにな、と感じる。

 

どちらかと言えば、「凪のお暇」の続きの方が気になる、凪さんヤンデレ化阻止して欲しい。

あと、帰りの道すがら、(今回のこと、ネタにできるな)と考えた私のクズ加減の方が痛々しくてきつい。

嗚呼、業深き私は、誰かを救うことは叶うのだろうか?

 

頭をぽりぽりと掻きながら、投稿する。