アルバムを取っ掛かりに考えます。
写真を現像したのを貼付けて過去を慈しむアルバム。
実家の棚には家族のアルバムがあり、母は孫に見せるのが楽しみらしい。
アルバムと言うと幼い時の自分の可愛さに驚きます。
ある種の客観的な視点になって、一瞬(これが俺?)となります。
今じゃあ汚い面のおっさんですからね。
アルバムに写真が載せられて、過去の出来事をあれやこれやと話すのでしょうけど。
他の人はどの程度、家族と見ているのでしょうかね?
海外だとコルクボードや写真立てに飾っているイメージがありますけど。
日本だと、どうなんしょ?我が家ではそんな見ることがないですし。
最近はデジタルカメラでの紙への印刷よりデータ化して管理することが増えてますね。
さっと見れるのは良いんですけどね。
味わい深さというか感慨に耽るってのはちょっと違う?
前提が他の人と共有することが頭にあるからかな?
家族や友達と言う小さい世界の小さい出来事を不特定多数に見せる。
うん、こう書くと何か変な時代になったな。
そうさね、あえて、あえて言うとしたら。
私の個人的な考えで言うならば。
過去の記録は現在の自分の存在の確認作業をするために必要だ。
《ブログチャレンジ》で「5年前のことを書こう」的なのがあって。
5年前のことなんて覚えていないから、古株のSNSであるmixiで確認してみたら…
・書きかけの私小説を書いてました。
・悪友が彼氏と別れていました。
・松本山雅がJ2に昇格してました。
・チーズケーキを食べてました。
ふふ、これは中々の出来事…
え?何のこっちゃか解らない??
まあ、上から順に説明すると。
このときの私はSNSの在り方の模索と言いますか、どうにかして続ける方法を考えていまして。
その一つが私小説を書く。
超中途半端、これは弔わなければならない。
一度、読み直して、書き直して…mixiとはてなブログに投稿?
…気が遠くなるな…
中学の頃からの女友達、いや悪友の恋愛事情なんですけど。
その当時、良い彼氏を捕まえたな…と思っていたので、残念でした。
そんな悪友が今年2016年に婚約しました。
5年の月日は重いな…
松本山雅、サッカーを齧っている人なら知っているでしょう。
この年だったんですね、J2昇格。
5年の間にJ1昇格と降格、そして現在昇格圏内…頑張って欲しいです。
2011年の私はチーズが嫌いでした。
味に匂いに見た目にと拒絶していました。
日記にチーズケーキを食べたことを書いていて、あの当時はそれも厳しかったんですよね。ピザなんて以ての外でした。
今現在、私の人生の転機がありまして。
そのタイミングで何となくチーズ嫌いを克服。
今ではカロリーが欲しい時にピザを注文するくらいには好きになりました。
ピザーラ凄いよ。めっちゃ美味いよ。
本質的に変わらない私ですけど。
変わった所があった、そのことを確認することができました。
小さい世界の小さい出来事ですが、アイデンティティを支える大きな変化がそこにはあった。
今でも変わらない繋がりがそこにありました。
アルバムや日記に記録することは、過去を確認することで現在を再評価する確認作業ではないか、そう考えます。
書いていたら、昔の写真を見たくなってきた。
実家に帰ったら、アルバムを見せてもらおう。
現在の私の存在の確認のために。
ふああ、良し、終わり!