丸い木の平板の机の上に腕を乗せる。
照明の光はニスの艶を照り返す。
私の視界は丸い木の平板の机が3分の1を占めている。
発泡スチロールのような泡が目に入る。
珈琲の跳ねた跡はマッチで焦がしたようだ。
クトゥルフ神話の壁画のような顔は容器の熱を内に留めようとしている。
丸い平皿は実に陶器らしい白さだ。
ニューヨークチーズケーキを乗せていたケーキシートの焦茶色がよく映える。
丸の白と焦茶色の三角の上を銀のフォークは直線でありながら独創したアクセントを与える。
丸い白のプラスチックの蓋は所在無さ気だ。
同じ白く丸い存在なのに、片や厨房で洗われて片やゴミ袋の中へ。
トレーの上にある同じ丸く白い存在は相容れない。
ケーキフィルムのフィナーレは終わっている。
チーズケーキから外される瞬間がケーキフィルムのすべてだ。
外された後の顛末は皆様よくご存知だろう。
小さい紙に必要な情報が載せられている。
対価と取引、時間を刻印されている。
今日この時、私はこの丸い木の平板の机を利用できる一種の許可証となる。
目の前の出来事を綴る人差し指は忙しく四角い平板の上を動く。
私の時間を浪費するこの平板はしかし私の虚無を癒やしてくれる。
私の人生の3分の1はこの四角い平板に占められているだろう。
苦い珈琲がよく似合う、丸い木の平板の机。
その上に広げられる、一時の快楽の残骸。
そして私の人生の3分の1がここに乗っている。
などと脳天カラフルに珈琲を啜る午後5時かな。