電力柱を取っ掛かりに考えます。(閲覧注意)
道の横を電線を延々と繋ぎながら等間隔で立っている電力柱。
景観上、合わないところもありますが、基本的には電力柱のある風景は好きです。
写真は北海道函館に観光しに行った時に撮った日本最古のコンクリート製電力柱です。
こういう風に縦横無尽に走る電線と電力柱の無機質で自然にない異質な雰囲気を漂わせながら、周りの風景と調和する奇妙さが好きな理由です。
皆さんは日常の中にありながら、意識するとその存在感に圧倒されるときがありませんか?
私は時たまにそうした感覚になるときがあります。電力柱はその一例ですね。
そう言えば、母との会話の中で決まり文句というか、幾つかパターンがあって。
その中で母が何かやらかして、そのことを軽くおちょくると返ってきたフレーズが
「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなみんな私が悪いのね」
あ、ここだと電信柱だ。今気付きました。
さっき正式名称を調べたときは電信柱と電力柱は別物ってあったので、電力柱って書いたのですけど。
最近は聞いていないですけど、母の決まり文句でしたし、キャッチーな言葉で記憶に残っているのです。
だから、何て言うのかな…
あえて、言い切る。
両親の存在は意識しないと日常の中で埋もれる。
何だろうな、何時かは居なくなるというか亡くなる訳だけど。
こう、意識的に何時かは居なくなるってのが感覚的に解っていない気がする。
それは日常の中で「両親の存在」は風景として完全に溶け込んでいる、ような?
例えば、母が居なくなったとしたら…
多分、悲しいかな?多分。
いや、父方の祖母が亡くなったときから今までそのことに関しては悲しいのですけど。
母が亡くなった、としても動揺はするでしょうけど、それはこれから先の葬式とかが上手くやれるのか?っていうことが主題になるでしょうし。
ちゃんと供養できるのか?とは決して言えないし。
一雫の涙は流すでしょうけど…あー、どうだろう?流さないか?解らない…
自信を持って、「母が亡くなったら悲しい」とは言えない。
人間として確実に欠落していることを意識しちゃうし。
私の内面ばかりに意識が行き過ぎて、母の存在に意識が向かないなー…
父が居なくなったら…
嬉しいな。すごく嬉しい。
…いや、今日(2016年12月1日)で始めて父に対して人生初の怒りをぶつけた訳です。
本当、今まで生きていて数えるくらいしか怒ることがないくらい、人間として詰まらない私ですけど。
今回は怒鳴ってしまいましたね。もうすぐ30歳になる人間がガチ泣きしながらです。
詳細は省きますけど、とにかく人生の内であれだけブチ切れることはそうそうないでしょう。
よく考えれば、父の言っていることの表面上のところは間違っていないですし。
今、こんなことを書いているのも人間として最低で、感情的になっているのは否定しません。
しかし、あの野郎、やはり許せない…
でも、主観というか、意識は自分の内面に向かっているので、父への意識は日常の中ではそれほどないのですけどね。
こういう風に考える時間にちょっと考え始めると、結句自分の感情と向き合う結果に。
こういうことを考え始めると、疲れるのです。とても。
それは、自分の中で消火し切れていないものがグツグツと溜まり続けているからでしょう。
だから、普段は気付かない振りをして、どうにか「家族」の体を守って。
家族だったら何を言っても良い訳じゃないのは解り切ったことで。不用意な一言で傷付けることになりますからね。
気付かない振りをし過ぎて鈍くなっていたから、うっかり地雷を踏まれた訳ですけど。
日常の中に埋もれたままだと、油断して地雷を踏まれて、お互いに嫌な気持ちに。
感謝をしていない訳ではないのです。
いや、正確には恩はあると考えている、ですけど。
今まで育ててくれた訳ですし、学校などのお金も工面してくれましたし。
しかし、変な話、些細なことなのですよね。
両親との日常で普段から感謝している、とか愛しているとか言える人は幸せでしょう。
私は幸せですけど、気付けば日常の中に埋もれてしまう程度の認識なんですよね…
それは良いことなのかどうなのか…
ただ、ふとしたときに母の決まり文句を思い出すとちょっと元気になるので。
否が応でも私の背景にはやはり両親の存在は居る訳です。
だから、と言うか、日常で埋もれたままにしてはいけないのだろうな、と感じるのです。
じゃあ、向き合うのかってなると…疲れるからな…適度にね?
って、あっれー?どうした、どうした。やっぱ不満だったか?
こう、何者かに書かされている感覚だぞ?書いているのは私だけど。
………まあ、いいか。これで。
電力柱から変な話になったけど、書き直すつもりは更々ない!
批判されても受け入れます。だって、どう考えても私が変だし。
皆さんの家族はどういったものかは知りませんが、皆さんの家族が幸せであることを願っています。