ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

【あなたが眠るまで。】その5

3.木々の間に潜む影達

 

走った。

草に足が絡まりそうになりながら、ただ、走った。

カケルが今にも倒れそうなほど腕を引っ張って。

カケルに目をやれば、僕は無意識に見てしまう。

僕らの後ろにあの木の怪物が迫って来ている。 

カケルは急なことに何が何やら分からないようだ。

後ろから来る怪物をカケルはちゃんと認識していないだろう。

むしろ突然走り始めた兄にただ付いて行くことに無我夢中の様子だ。

今はその方が良い。

僕自身何て説明すれば良いか分からないし、恐怖で足が竦まれたらマズい。

あんなのに追いつかれたら、何をされるのか分かったもんじゃない。

今はあの怪物を巻かなくては。

僕の心臓はロデオに乗る牛の如く暴れ回っている。 

しかし、遂に僕に付いて来れなくなったカケルが転んだ。

幾枚もの葉が同時に擦り破られる音を出しながら、僕の身体も急ブレーキを余儀なくされた。

僕は咄嗟にカケルに覆い被さった。

カケルだけは、カケルだけは守らなくてはー

カケルの途切れ途切れの息と僕の息だけが聞こえる。

長い長い時間が流れた。

次第に僕の息が落ち着いて来た頃になっても、あの異様な音が全く聞こえて来ない。

喉が渇いて来る。

僕の、後ろにいるのだろうか?

不安が膨らんで来る。

冷や汗で服が濡れ、冷たく感じ始めた。

僕は意を決し、ゆっくりと後ろを見た。

そこには、何も居なかった。

あの木の怪物は居なかった。

僕はしばし呆然とし、危険が去ったことが分かると、腹の底から力が抜けていった。

 

昔のことを思い出していた。

僕がまだ小学校に上がったばかりのとき、近所の公園にカラスが一匹舞い込んで来た。

我が物顔で公園に居座るそいつに近所の友達は皆怯えていた。

僕は皆に格好つけたくて、そいつに小石を投げつけた。

そしたら僕に向かってカラスが襲いかかって来た。

僕はびっくりしてその場で尻餅を着いてしまった。

目の前には羽を広げたカラスが眼前に迫って来ている。

僕は頭を抱えてその場にうずくまった。

もう駄目だって思ったとき、いつも公園で体操しているおじさんが怒声を上げながら助けてくれた。

気付いたら、僕はボロボロ泣きながら母の背中におぶられていた。 

何であの時の事を思い出したんだろうか。

きっと僕の中で最も怖い出来事と言えば、カラスの件だったのだろう。

そこでハッとなって僕は目尻から頬にかけて手で触った。

手には油っぽい汗のぬめりがあったが、目からは涙らしいものは出ていない。

良かった、泣いていないようだ。

ほうと息を吐く。

あの時は、おじさんが助けてくれた。

母が慰めてくれた。

今は僕が、カケルを守らなければならない。

守られる立場から守る立場に変わったこと、それが僕が涙を流していない事への安堵となった。 

「ねえ?お兄ちゃん」 

カケルが恐る恐る僕に声をかけて来た。

そうだ、何時までもへたっていてはいけない。

僕はカケルの兄なのだから。

僕は笑う膝を抑えながら立ち上がり、息を深く吸い込んだ。

そして、抜けて行った力を腹に入れて、カケルを見た。

カケルは怯えと混乱が入り交じった目で僕を見ている。

僕はカケルの目に合わせるように屈むと、笑ってみせた。 

「カケル、そんな心配そうな顔をすんな。兄ちゃんは大丈夫だ」 

カケルを守れるのは僕だ。

僕はカケルの兄なのだから。

僕が守らなくては。

木々の何所かに潜むあの怪物の存在が頭にちらつきながら、僕は自分に何度も言い聞かせた。

心臓がまだ激しく鼓動している。

なのに汗で冷えた身体は小刻みに震え始めた。

それでも、僕は何でもないように振る舞った。 

「カケル、まだ歩けるか?」 

僕はこの林から脱出を試みる事にした。

あの怪物がまた何時何処で現れるか分かったものではない。

あの姿を思い出すだけでぞっとする。

一刻も早くこの異空間から出なくては。

最初にあった直感も、あの場所から動いた時点で動かないと言う選択はなくなった。

僕にはあの場所に留まり続ける知恵と度胸はなかった。

それがこの結果なのだ。

僕は少しでも安全な場所へ行く選択をしたのだ。

僕はカケルの新たに付いた土を軽く叩き落とすと、カケルの顔を見た。 

「これから、もうちょっと歩くけど、しっかり付いて来るんだぞ?」 

カケルはしばし僕の顔を見た後、一つゆっくりと大きく頷いた。

色々聞きたい事があるだろうに。

ここから出た後に何かカケルの好きな物を買って帰ろう。

僕はカケルの頭を何も言わずに撫でると、さっと立ち上がった。 

「さて、社は何処だろうか」 

僕はここが高木神社の中の林であるならば、社に向かって歩こうと思った。

ただ、ここは普通とは違う異空間だ。

僕の知っている『高木神社』とは違うかもしれない。

この暗さと木々の中と言うのもいけない。

どっちが東で、どっちが西なのかまるで方向が分からない。

進むべき方向も、どの位歩けば良いかも分からない。

それでも、何時までもここに居られない。

闇雲に歩いても辿り着けるのか?

「お兄ちゃん、社はこっちだよ!」 

カケルはにっこり笑って僕の手を引っ張る。

え、何だって? 

「カケル、待ってくれ。今何て?」 

「社はこっちだよ。僕こっちから来たもん」 

カケルは自信満々に林の中に指を指す。

カケルは自分が来た道を覚えていたのだろうか?

いや、しかし、僕は元の位置から動いている訳でその方向が正しいかなんて言えるだろうか?

そもそもここは『高木神社』なのかさえ怪しい。

でも、僕はどっちに向かえば良いか分からずにいた。

もし、カケルの指し示す方向に社があれば…僅かな希望に僕は頼ることにした。 

「分かった。行こう」 

僕はカケルの手を取ると、その方向に足を踏み出した。

 

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