今週のお題「私のアイドル」
ぐっすり寝て、少しばかり身体が軽くなった。
1日だけでは足りないが、しっかりと寝れるのは良いことだ。
明日の出勤まで、たらたらと過ごすことにする。
さて、私が話の種を探し求めて彷徨いているのは皆さんのご存知のことだろう。
しかし、話の種というものは、中々どうして見つからないものだ。
いつものように、月で宙返りをするように考えていると、「今週のお題」が目に入る。
「今週のお題」は、はてなブログのスタッフが毎週木曜日の午後に出題するお題のことだ。
新規で記事を作成しようとすると、「今週のお題」が表示されるから、目にはいつも入っていた。
話の種を探す亡者であるところの私は、砂漠で見た蜃気楼かもしれないオアシスのように、ふらふらと引き寄せられた。
例えどんなお題でも書いてみせると決意して、「今週のお題」をクリックし、眉をひそめる。
「私のアイドル」とは、是如何に?
縋る先を間違えたかもしれない、と若干の後悔が過るが、書き始める。
そも、「アイドル」自体、それほど興味がない。
私は誰々が歌うから聞く、と言うよりも、好きな楽曲だから聞く、のスタンスだ。
好きな楽曲を歌っているのが、アイドルだった、と後になって気付く。
アイドル自体のパフォーマンスは、全く興味が湧かない。
いや、嘘を吐いた。
「アイドル」に興味はない、というのは嘘だ。
「アイドル」という概念は大変に興味がある。
「アイドル」とは「偶像」を意味し、信奉するものを具現化したアイテムだ。
「アイドル」という偶像と通して、夢や希望を見出す、強烈な光だ。
以前、AKB48について、知人と話をしたことがある。
当時は、テレビに出始めて、アイドルに興味がない私と知人が名前を出す程度には認知度があった頃だ。
その時に、ランドセルを背負って面接に行ったエピソードを話したメンバーがいた話をした。
まだ小学生なのに「アイドル」という夢を持って飛び込む人がいることに驚いた。
しかし、厳しいレッスンや現場で扱かれても、劇場に立てるのは、ほんの一握りであることに、知人は世の無情を嘆いていた。
そんな彼女たちが歌うのは、夢や希望に満ちた無償の愛だ。
その時に、「無情(むじょう)」の「じょう」の濁音の点々を取ったら、「無償(むしょう)」になるな、と気付いた。
世の中の無情さに晒されて、それでも歌うのが無償の愛に、2人で盛り上がった。
今、濁った世界で夢や希望を持てるだろうか?
否、濁った世界だからこそ、夢や希望が必要なのだ。
濁りを払い除けた先の、無償にまで辿り着けなければ、と今でも考える。
あえて、言い切る。
「アイドル」が歌う無償の愛は、無情な世の中に必要だ。
世の無情さにあがなう乙女たちの歌の力は偉大だろう。
それにしても、点々を払うとは、一体何なのか?自問自答して、未だ路頭に迷う。
話の種で彷徨い、自問自答して迷い、いつもふらふらしているな、と気付く。
時に、耳に入るアイドルの歌に、私も救われていたのかもしれない。
…何が言いたいのか、さっぱりだな。
きっと世の無情さに晒されて疲れているのだ、と言い逃れしてみる。
今こそ、「私のアイドル」が必要なのか?とちらっと考えて、幕を引く。