実家から直ぐの信号機が赤から青になり、私は緩やかに曲がった。
すると、前方数mに母と愛犬の後ろ姿が見えた。
義足独特のひょこひょこした歩き方をする母と、散歩が嬉し過ぎてリードをグイグイ引っ張る愛犬を、私は見送った。
自動車から降りると、見かけないキジトラ白の子猫が隣家の庭にそろりと入っていった。
クリーム色した塀から覗くと、モノクロの子猫もいて、2匹の子猫は戯れ合っていた。
私が覗いていることに気付くと、警戒してか2匹ともじっと私の見てきた。
隣家の庭を覗く私は端から見れば不審者そのものであることに気付き、そそくさと不審に立ち去った。
部屋に入って、いそいそと寝間着に着替え、台所からカレーを盛って、居間で食事をする。
朝の連続テレビ小説が始まる前に、部屋に戻って、ごろごろする。
手元のスマートフォンでTwitterに着ていたダイレクトメッセージへの返事を考え考え書く。
そうこうしている内に、そろそろ寝なくてはならない時間になってきた。
その前にさらりと一文を拵えようとピアニストがピアノを弾き始める前のように、パーソナルコンピューターのキーボードに両手を添える。
しかし、5分、10分と微動だに動かない。
書きたいことはあるが、今から書き始めると、時間を大幅に侵蝕する。
明日今日が休日ならそれでも良いが、普通に仕事だ。
なら、「微動だに動かない」指を自分の意思に反して動かさなければならない。
先程、Twitterで下記の呟きが流れてきた。
私は、たとえ数行しか書けなくても、毎日2時間書くことにしています。
毎日書いていると、いずれインスピレーションが湧いてきます。
とにかく2時間は書きます。
書きたいと思うまで待っていると決して何も書けないのです。
(デーブ・バリー)出典:https://t.co/NsQPoM3arx
毎日10分でも、意味はあるのだろうか?
日常の出来事を思い出して書いていても、インスピレーションは訪れるものだろうか?
ただ、待っているだけでは何も書けないのは、分かる。
書く時間をもう少し増やすべきか、悩む。
ああ、もう寝なければならない。
その時に、母の後ろ姿が浮かんで、出だしを書いた。
書けた、のだろうか?
書けた、と言えるだろうか?
書けた、としておこう。
明日もインスピレーションを欲しながら、投稿する。