乾燥した部屋の空気を石油ストーブで暖めている。
お陰で喉が渇いて仕方ない。
さっきからお茶をごくごくと飲んでいる。
さて、今日も詰まらない記事を拵えようか、と腰を据える。
しかし、何も出てこない。
うむ、どうしたものか、と思案して、2年前と1年前は何を書いたのか急に気になった。
当ブログで記事を書き始めて、2年以上経過している。
つまり、2年前の11月15日と1年前の11月15日に何かを書いたはずなのだ。
ちょっと発掘して、読んでみよう。
まずは、2年前の記事から。
何を書けば分からなかったので、適当な詩を書いて投稿していた。
その詩の内容は以下の通りだ。
詩を書きます。
うん、叙情詩っぽいのを書いたけど、良く解らなくなった例です。
『逃げる言葉を掴まえて』
秋というには寒く。
冬というには緩い。
晴れというには暗く。
曇りというには柔い。
何処かというには知らず。
何処へというには決めず。
何時からというには遠く。
何時までというには怖い。
起きているというには淡く。
眠っているというには重い。
何を言っているのか?
何も言ってないのか。
これくらい意味のない方が良い?
意味のないことは良い。
「これくらい意味のない方が良い?意味のないことは良い」、もうこの頃には当ブログの姿勢は出来上がっていたような気がする。
本当に適当な詩だったものだから、読んでいて「らしいな」と笑ってしまった。
次に1年前の記事へ。
「意味のない数字」カテゴリーで183番目の記事、ということだ。
当記事は498番目であるから、凡そ300記事ほどの上積みがある。
こう見ると、時間の経過をよく知れる。
七転八倒、四苦八苦。
出がらし出尽くしでんでんでん。
でもでも書かねばうんぬんかんぬん。
でもでも書けないしくしくめそめそ。
本を読まないツケが回ったか。
ニュースを見ないツケが回ったか。
私の中に何もない。
困ったくまった頭ふりふり。
とりあえず、投稿。
投稿します。
何だろう、頭の悪さが際立つ文章だな、と感じる。
妙な気恥ずかしさを感じてしまう。
ただ、「私の中に何もない」と感じる私の変わらなさを確認した。
2年前は、逃げる言葉を捕まえようとしていた。
1年前は、出がらしを出尽くして悶々としていた。
今日は、嗚呼、何も出てこない。
詩を書いたり、巫山戯て書いたり、色々と試している。
しかし、根本は変わらず、書けないことを書けないと書いていた。
2年前から今日に至るまで、私は変わらず、詰まらない記事を拵えていた。
500記事目前、再確認する、当ブログの方向性は、「詰まらないことを延々と書く」ことだ。
馬鹿みたい、と自嘲しつつ、今日も書けない事を書いた。
何もなくても、何もないことが大切だ。
意味のないことは良い。
私の中に何もない。
ただ、書き連ねるのみ。
意気健剛の志の思いで、投稿する。