ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

もっとネガティブでいこうよ!

当ブログは、ネガティブ方向にポジティブだ。

後ろ向きに全力を傾けている。

私自身に対して、認識の深堀りに注力している。

 

そのブログをその時々の気分によって、検索することがある。

「ネガティブ方向にポジティブ」と当ブログの名前を検索窓に軽快に打ち込む。

すると、上位3記事くらいは、私のブログが表示される。

 

問題は、いや、問題と言うより、私が単に気になるだけなのだが。

1ページ目に表示される、私のブログ以外のWebサイトが真逆なことを提示した内容なのだ。

即ち、「ネガティブ思考をポジティブ思考にしよう!」と、ネガティブであることを真っ向から否定する内容なのだ。

 

ネガティブ思考より、ポジティブ思考の方が良いのは、物事を広く捉える上で必要とは考える。

しかし、何もネガティブ思考をすることを止めなくても良いように感じる。

ネガティブに、悲観して、厭世主義であっても、良いではないか?

今回はそんな所を考えてみた。

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目次

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1.ナイフを持った覆面男。

検索窓に「もっとネガティブ」と打ち込んでみた。

そう、私はもっとネガティブに陥りたいのだ。

私はそう考えて、エンターキーを音高く叩いた。

 

すると、以下の記事が表示された。

 

karapaia.com

 

ほう!ネガティブ思考の人に前向きさを求めると、もっとネガティブになる!

何と、恐ろしい…恐ろしいのか?

気になるので、ちょっと読んでみた。

 

記事には2014年4月15日、つまり、今から4年前の記事だ。

ミシガン州立大学の心理学者の研究、とある。

どのような実験か、以下引用である。

 

研究ではまず、71人の女性被験者を対象に、各被験者がポジティブ(楽観)思考なのかネガティブ(悲観)思考なのかを自己申告してもらう事前調査が行われた。

その後被験者に「覆面をした男が女性の喉にナイフを突きつけている」といった困難に直面した場面の映像を見てもらい、それについて楽観的な解釈をするように指示を与えた。

その間被験者の脳はスキャンされ、特殊なマーカーを使って血流動態反応が調べられた。

その結果、自分を楽観思考だと回答していた人の脳の血流動態反応は、悲観思考だと回答していた人よりもかなり少なかったことが判明した。

 そこで悲観思考者らに、もっと前向きに考えるよう指示をだしたところ、血流反応が更に激しくなった。

これは、悲観的な感情を無理やり肯定しようと努力した結果、脳内で混乱が生じ、バックファイア効果が発生したことによるものだという。

 「悲観思考の人に、もっと楽観的に考えろと言うことは、実際には彼らの否定的感情をさらに悪化させ、さらに否定的になってしまうことを示している」

主席研究者であるジェイソン・モーザー氏は語る。 

 

更に今回の実験では、女性は男性よりも2倍心配性であり、脳の構造と機能に男女差があることがわかったそうだ。

 「我々は、悲観的な人が困難に直面した時のアプローチ方法を考える必要がある」

モーザー氏は言う。

 「心配性な友人に ”前向きに考えろ” とか ”心配するな” とか、”がんばれ” と言うことは何の助けにもならない。

  それよりも、別の方法、例えば違うやり方で問題を考えるように言うとか、違う戦略を立ててはどうかと聞いてみるとか、アプローチを工夫する必要があるだろう」

もちろん悲観的な人が、楽観的な考え方を練習することはできる。

だが、実際にその思考回路を定着させるまでには、ものすごく長い時間と労力がかかる為、モーザー氏は思考を矯正する訓練をすることについては懐疑的である。

 

via:sciencenewsline/原文翻訳:LK

 

 

…状況がかなり特殊だ。

「覆面をした男が女性の喉にナイフを突きつけている」映像を見て、この状況から楽観視、前向きに考えろと?

結構、無茶振りな気がするのは、私だけだろうか?


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2.ネガティブ思考の状況打開策。

ポジティブな人は、映像の色々な情報から、何かしらの手立てを想像するのだろうか。

ネガティブな人にとっては、死が目の前に来ている状態なのだから、恐怖が先立つだろう。

要は、この恐怖をどう乗り越えるか、が肝なのかもしれない。

 

この文章だと、強盗かもしれない。

覆面をしているから、知人や血縁者の可能性もある。

喉に突きつけているのだから、甚振ることより、脅迫することがメインか?

 

映像が主観か客観かでも違うだろうが、恐らく、主観だろう。

客観なら、ある程度、自分とは切り離して考えられるはずだからだ。

それとも、今目の前に起きていることが自分に降り掛かったような想像をするだろうか?

 

この状況を脱する方法、つまり、視点を変える引き出しの多さが大事なのではないのか。

それは、別にネガティブなままでも、視点を変えることはできる。

少し考えれば私でも幾つか思い付く。

 

例えば、物事を限定する。

際限なく、広がる恐怖の想像は、しかし、実際には一つに収束されるはずだ。

現実な同一線上の空間と一方方向に進む時間に限定されている。

一度にあれもこれも起きやしないのだ。

 

だから、色々と想像したら、「現実的にもっとも可能性のあることは?」と自分に質問すれば良い。

くらべれば、自ずと1つに収束される。

似たようなのは、いっそ同じにしてしまえば良い。

 

頭に「現実では?」と限定するのも良い。

「現実では」と付けるだけで、取り敢えず、有り得ない想像は排除される。

推理小説が好きなら、より具体して想像しても良いかもしれない。

 

例えば、「わたしがかんがえたさいきょうにこわいこと」を考える。

それはもう、何処までも何処までも恐怖を追求するのだ。

 

覆面の下は焼け爛れ、腐敗していて、目が6個ある。

ナイフはみるみる巨大化して、教会の屋根を突き破っていく。

巨大化したナイフが人工衛星にぶつかり、それが大都市のど真ん中に降り注ぐ。

阿鼻叫喚の只中、覆面男は「お前をバラバラにして、世にも恐ろしい怪物にしてやる!」と叫ぶ。

 

ここまで想像すると、見るのも苦痛なB級映画になる。

怖さが一周して、馬鹿馬鹿しさが勝てば、もう考えなくても良い。

何故なら、想像した恐怖より怖いことなどないのだから。

 

例えば、覆面男の幸福について考える。

ナイフを喉に突きつけるまでに至った、可哀想な男を憐憫する。

きっと、病気の母とお腹を空かせた末の弟妹のために、お金が必要なのだろう。

 

まかり間違って、喉を切り裂いて、死んでしまったとしても。

覆面男のお金は、1斤のパンになって弟妹を1日生き長らえさすことができるのだ。

なら、女性は不幸だが、覆面男は幸福だろう。

 

因果応報、ナイフを突きつける覆面男はこの先不幸になるのであれば。

どう不幸になるのか、想像しても良いかもしれない。

ある程度、想像したら、「今この瞬間、この男は不幸に足を踏み入れているんだな」と哀れめば良い。

 

例えば、死ぬことを受け入れる。

何が恐怖だと言えば、死ぬかもしれないから怖いのだ。

この特殊な状況下で、ほぼ死ぬことはネガティブ思考は想像するだろう。

 

しかし、私くらいのネガティブ思考だと、喉にナイフとは幸運とさえ考える。

痛めつけようと腕や足をなまら切り付けるのでなく、喉に1回だろう。

何て慈悲深いのだろう、とさえ感じる。

 

実際、そうした状況下なら、何が起こっているのか、分からないまま横たえるかもしれない。

すると、痛みを感じる暇もなく、スッーと死ねるかもしれない。

心配なのは、死んだ後の遺体を片付けさせられる人の心中ばかりで、死んだ方はもう息をしていないのだから、心配のしようがない。

 

逆に死を受け入れられないなら、抗うしかない訳だ。

なら、駄目で元々、暴れるだけ暴れてしまえば良い。

想像の中でなら、どれだけ暴れても良いのだから、兎に角、大暴れする。

 

結句、それで死んでしまった、と結んだとしても。

私なら「生きようと前向きに取り組んだじゃないか」と行動したことを褒める。

もっと前向きに、とはつまりこういうことで良いのではないのか?


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3.私が一番言いたいこと。

このように、色々な角度からアプローチする際、ネガティブのままで全然良いのだ。

むしろ、ネガティブの方が楽しいのだ。

ネガティブであることを楽しめれば、ある意味でそれはポジティブなのかもしれない。

 

最後にモーザー氏が言っていることは、つまり、視点を変える技術の話だと私は考える。

ポジティブだろうと、この状況下で「とにかく根性で乗り切る」、「大丈夫、私は運が良いから」は、馬鹿の烙印を押されかねない。

たまたま、ネガティブ思考が槍玉にされているだけで、視点を変えるのはどちらの属性でも良いのだ。

 

また、モーザー氏の「ネガティブ思考をポジティブ思考に変えることに懐疑している」点に大いに賛同する。

むしろ、中途半端にネガティブでいるから辛いのだ。

振り切ってしまえば、ある種の無我の境地に行ける、多分。

 

だから、私は、考える。

あえて、言い切る。

 

もっとネガティブでいこうよ!

 

ただただ、それが言いたかっただけの、在り来りな記事だ。

私はこれからも、ネガティブ方向にポジティブでいく。

間違えても、間違えても、歩き続ける。

ただ、それだけのこと。