伊勢神宮より、その3。
今年で31歳、来年で32歳になる。
噂では、4月末まで「平成」の年号らしいことを聞いている。
5月生まれの私は、年号が変わった月に32年目の人生を歩むことになる。
歳だけ無駄に取って、全く中身が子どものままの自分に辟易する。
何も成長していないから、年齢=彼女いない歴なのも宜なるかな。
必然、彼女いない歴であると同時に、チェリー歴も年齢との等式が成り立つ。
有り体に言えば、女生徒の経験をどうしてもしたい、と言うことは別段ない。
ただ、31歳で経験なしは人としてどうなのだろうか、と他人事のように考える。
事を済ませた方が長い目で見て、世間からの目も幾分か和らぐのではないか?
何歳が妥当かは知らないが、31歳で経験なしは希少な予感がする。
しかし、「絶食男子」などの言葉ができるくらいだから、そこまで珍しくないのか?
いや、しかし、やはり普通からはかけ離れているのは疑いようがない。
世間のいう「普通」には成れないことを自覚した昨今な私だ。
より正確には人と「噛み合わない」ことが分かった、と自嘲してみる。
人生で幾何度目かの修正をしている最中だから、普段は考えないことも考えてしまうのかもしれない。
私は「普通」に成れないなら、誰かの為に取っておくモノでもないな、と感じる。
後生大事にしても、「普通」な相手と「普通」に幸せな関係を築くのは不可能だろう。
なら、誰でも良いから相手を探して捨ててしまっても良いのではないだろうか。
いや、口では達者なことを言っているが、私は捨てることはないだろう。
私が「普通」ではないからと言って、相手の「普通」を蔑ろにして良い理由には成り得ないから。
本音ベースで言えば、「面倒だな」、と言う気持ちが巨大な石碑にどかっと書かれて私の真ん中を占めているのが理由として大きい。
ふと、伊勢神宮の写真なのに、俗悪なことを書いていることに気付く。
折角の清廉な空気を穢してしまった気がする。
誰か清めて欲しい、清めの塩が端から真っ黒になるのは目に見えているとしても。
想いの丈を遠慮容赦なく打ちまける、12月4日かな。