ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

三者三様の子どもらの行動に、愛おしさが迸る。

この前の地元の納涼祭でのことでも書こう。

より正確には、地元における私の人物像を書くことになるのか?

具体すれば、私がうだうだしている所にきた子どもらの話だ。

 

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目次

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1、女の子A。

 

地元の納涼祭は、7月の下旬の夕方の6時から小さな公民館で毎年行われている。

そして、雨に見舞われることになるのが通例となっている。

今年はざんざん降りになることが分かっていたので、予め公民館の中で続きができるように設営されていた。

 

さて、私は早い段階で公民館の中に入り、席を取って寛いでいた。

私こそが主だぞ、とゆったりと構えながら駄菓子を食べ、ビールを呑んだ。

たらたらするのも楽しい、はしゃぐだけが祭りの楽しみ方ではない。

 

そんな私に夫人が声がかけてきた。

「今晩は。この子のこと、覚えています?」

夫人の後ろには、もじもじとしている女の子Aがいる。

 

もちろん、覚えている。

しかし、毎年その女の子Aはもじもじして私に直接話しかけて来ない。

話しかけて来ない理由は「私のことを覚えていないのではないか?」と不安に感じているから。

 

基本、ぼっち行動をしているので、こちらから堂々と女の子Aに話しかけることは滅多にない。

その子も中学生(学年は忘れた)だから、そっとしている。

と言うのは建前で、本音は毎年おどおどしているのが可愛くてちょっと素っ気なくしてしまう私がいる。

 

私が「覚えているよ!」と言うと女の子Aはほっとした顔をする。

ごめんね、でも、意地悪したくなっちゃうのよね。

その女の子Aは安心したのか、短い雑談をして、その場を離れた。

 

2、男の子B。

 

私がうだうだとしていると、男の子Bが私の目の前に一口ゼリーを置いた。

1個、2個、3個、4個、とどんどん置いていく。

「どんだけ置いていくんだよ!」と私が突っ込む、計20個の一口ゼリーを置いていった。

 

それから少しして、今度は様々な駄菓子をどんどんと置いていく。

甘いのに、塩っぱいのに、と豊富な駄菓子を積んでいく。

さっきの一口ゼリーも含めると、私の前は食いしん坊がかき集めたような有様であった。

 

話を聞いてみると、どうも能動的にかき集めているようなのだ。

それを自分が食べるのではなく、何故か、私に献上している。

男の子Bもちょっとは食べていくが、基本は私へ、のようだ。

 

何か気を遣わせているのだろうか?

8月3日の盆踊りで地区の先頭を踊ることになっている私への労いか?

いや、周りの子らへの話しかけ方から察するに、男の子Bは親分肌なのだろう。

 

くれるようなので、粗方頂いた。

奉納された駄菓子は、美味しく食べた。

とても良い気分であったことを述べておこう。

 

3、女の子C。

 

私が良い気分で座っていると女の子Cが私の膝の上に座ってきた。

いきなりである、私から「ちょっとここに座りなよ」など誘った訳ではない。

スッと来て、ポンと座ってきたのだ。

 

ビックリはしたが、ここでは私は気の良いお兄さん、さっと腰に手を回して安全を確保する。

私が「(くっついて)暑くないの?」と聞くと女の子Cは「暑い」と言って、離れていった。

しばらくして、また座りにきた、何か気に入ったのだろうか?

 

そうして、座っては離れ、座っては離れを何度か繰り返した。

そうこうしていると、今度は「だっこして」とおねだりしてきた。

気の良いお兄さんである私は「良いよ」と応えて、だっこした。

 

中々に甘え上手な気がするが、そこに弟が来て、「僕も!」と言ってきた。

大体、こういう時は、お互いの主張を訴えようとするものだ。

そうした事態は心得ている、私が子どもらの話す順番を決めて各々聞けば良い。

 

そうすると女の子Cは「3回乗ったら、私と交代ね」と言ってきた。

流石はお姉さんだ、先に弟に譲る、見習いたい。

そこで弟の相手をしている内に、親御さんからお声がかかって、帰ることになった。

 

愚図るかな、とも考えたが、割とスッと親御さんのところへ行った。

流石は小さくても女性、切り替えが早い、見習いたい。

きちんとさよならの挨拶をして、別れた。

 

4、そんなこんなで。

 

1年の内で、地元に貢献していると言えるのは、この納涼祭くらいだ。

他の行事では全く役に立っていない。

逆を言えば、1年のこの納涼祭で、私の顔を子どもらが覚えているということだ。

 

そんなにキャラが濃いだろうか?

毎年、悪霊が憑依したかのように踊り狂うが、その程度だ。

十分か、こんな大人になるなよ、と願っておこう。

 

三者三様の子どもらの行動に、愛おしさが迸る。

 

子どもが好きなのだ。

無邪気だから、ではなく、精神年齢が近いから楽なのだ。

小難しいことを考えても、中身は5歳児と変わらない。

 

怖いお兄さんと言われるよりは、おバカなお兄さんで居たい。

そうして、何人かを笑顔にできれば行幸だ。

8月3日、安曇野わさび祭りの納涼祭、私は目一杯振り切っていく。

 

 

そんなこんなでうだうだとした納涼祭での出来事の一端をここに記して仕舞う。