「成長」について、このブログで書いた気がする。
「成長」とは「良い方向に変化する」ことを指している、と定義した。
それについて最近、悶々としている。
「成長しましょう」と謳う人たちをいる。
しかし、何をもって成長なのか、今一つピンと来なかった。
「成長しましょう」と謳う人たちの評価基準は、「お金を稼ぐこと」か「内面の変化」に求めているように見受けられるが、分かり易いようでいてその実分からないな、と考えていた。
「お金を稼ぐこと」を評価基準にするのは、「良い変化」とするのは分かる。
しかし、別に「お金を稼ぐこと」は手段であって目的でない私には「良い変化」には違いないのだが、「お金を稼ぐこと」を目的にするのは本末転倒感があるように見えてしまうのだ。
もちろん、「お金を稼ぐこと」を「成長」として捉えて奮闘する人を否定するものではなく、あくまで私の感覚として違和感がある、というものだ。
「内面の変化」を評価基準にするのは、私との相性が悪い。
何せ、現状を良しとする姿勢、「変化がなくても良い」とする姿勢だ。
最も成長が伺えない分野でもあり、個々人での捉え方の差が大きいように感じる。
今回、私が成長しなければならない点は3つ。
「私の売り」、「私の在り方」、「私の勝ち方」である。
「面白い脚本」、「劇団での立ち位置」、「プレゼンテーション」である。
早急に考えたいのが「面白い脚本」である。
しかし、「面白い」の定量化は難しい。
私の「面白い」はキャラクター、奇抜な設定、世界観、と評されたのだが、どれも数に表現できるのか?
キャラクターなら人気投票だが、すでに表現として場に出した後の途中であり、大元である脚本で人気投票はできない。
奇抜な設定も「如何に奇抜か」は初めて見せるから「奇抜」なのであり、見せないことが前提にある。
世界観も同様で、深堀りするにしても驚かせるにしても、最初に見せないことが前提だ。
副主宰は「仕掛け、山場、オチ、テーマ」に面白さの説明、論理性を求めている。
私の脚本はこの山場がなく、オチがなく、テーマ即ち意味がないのだ。
ヤオイ本、それが私の脚本だ。
今のヤオイ本は山場もオチもテーマもあるのかもしれない。
しかし、本質は、「自分の好きなキャラクターを動かしたい」という欲求からだろう。
そこからの変化を求められている、と解釈できなくもない。
というより、私が「面白い」と感じる意味即ちテーマが哲学だ。
より正確に言えば、「「私」の自意識の追求」である。
それを本筋に据えて、山場とオチを作れば面白くなるのか、分からない。
山場とオチとは一体、何であるか?
演劇で言えば、演出の兼ね合いではないのか?
脚本の時点で、山場とオチを作り出す、伏線の張り方を意識すべきなのか?
悶々とする、分からな過ぎてしんどい。
何が足りないのか、何が分かっていないのか、広大過ぎる謎に煩悶する。
とにかく、「良い変化」の指標が欲しいが、どう決めれば良いのだろうか?
具体して「成長」とする「良い変化」はまず、「あなたにとっての良い方向とは何か?」が具体しないといけない。
具体して「こうなれば良い方向の変化である」と位置付けができれば、それに向けてどう動けば良いか分かるはずだ。
できれば、その「良い方向の変化」のゴールもイメージすると尚良いのだろう。
評価基準は人それぞれ違うから、ある意味で、劇団の中で作りたいな、とも感じる。
私1人での「評価基準」でも良いが、劇団としての「評価基準」を定めていきたい。
難しい話だろうか、いきなり振っても困惑するかもしれない。
ちゃっちゃか聞いてしまおう。
結句、自分次第、何を「成長」とするか、決められるのは自分次第だ。
悶殺されながら、のたうち回って「良い方向」を探す。
「成長」に悩むすべての人へ、「良い方向の変化」を決められるのは、あなた次第だ。