「後で書き直す」と書いておく。
これがまさか、最後の記事になろうとは。
こう考えると、「後で書き直す」というのは無自覚に自分は少なくとも直近の未来で死なないと考えている訳だ。
それもそうだ、私はまだ32歳だ。
死ぬと感じるには、実感がない。
簡単に「後で書き直す」と書くのはそうした実感のなさからだ。
これが、1時間後に死ぬと分かっていたら「後で書き直す」とは書かないだろう。
では、何て書くだろうか?
…分からない、そこら辺は、後で書き直しておこう。
これがまさか、最後の記事になろうとは、その時は誰も気付かなかった。
嘘である、今はまだ。