4月26日9時頃、のそりと起き上がった。
ふわふわした心地のまま、居間へ行った。
居間では、母が『嵐』のコンサートが収録されたブルーレイを観ていた。
母の後ろを通り過ぎ様に、「10時で良いんだよね?」と確認した。
母は「もうちょっと早めで良い?」と首だけこちらに向けて聞いてきた。
私は「別に良いよ」と答えて、身支度だけ済ませてしまおうとさっさと居間を出た。
数日前から松本市の信州大学医学部付属病院で父は検査入院をしていた。
この日は汚れた衣服と着替えの取り替えをするために病院まで行くことになっていた。
この日、私は松本まで足のない母を自動車に乗せていく約束をしていたのだ。
手早くマスクと身支度を済ませて、居間に居る母に声を掛ける。
母はすでに手提げバックを膝の上に乗せて待っていた。
ぱっぱと外に出て、自動車をエンジンをかけている間に、母は後部座席にするりと座った。
松本市にはよく出かけるが、出かけて向かう所は毎回同じような場所である。
なので私は病院がどこにあるのか、全く分からなかった。
バックミラー越しに母を見ながら、「どう行けば良い?」とナビゲートをお願いした。
自動車を走らせながら、母と他愛のない会話をした。
カラスが電線からクルミを落としているのを見ては、落として割るなんて賢いね、と私は言った。
光城山の桜並木を見ては、昔サンタクロースはあの桜並木の所から来ているというのをお前は信じていた、と母は言った。
程なくして、病院に着いた。
停車スペースに自動車を止めて、ぷかり待った。
母はするりと降りると、病院の自動ドアーの中へと進んで行った。
のんびりと待って、待って、上半身が元の位置より幾分か沈んだ頃に母は戻ってきた。
バタン、と自動車のドアーを閉めて、母が乗り込んだ。
自分のシートベルトをして、母もシートベルトをしたのを確認して、再び動き出した。
折角なので、昼食でも食べよう、と安曇野市豊科の『哲学珈琲』に立ち寄る。
店の中は閑散としていて、コロナウィルスの影響を垣間見た気がした。
それでも瀟洒な雰囲気な店に、いつも通りの食欲で、母と歓談しながら昼食を食べた。
次いでに必要な食品も買ってしまいたい、と母は言った。
次いでに仕事に履いていく新しいチノパンツが買っておこうかな、と私は言った。
そろそろとイオンに立ち寄って、それぞれ求める物を買いに別れ、また集まった。
穏やかな日であった。
平和な日であった。
風が心地好く、春の良さが煌めいていた。
母が、今日は父方の祖母の誕生日だ、とさらりと言ってきた。
嗚呼、そうか、4月26日は亡き祖母の誕生日か、とさらりと受け止めた。
風が柔らかく、私の身体を通り抜けていった。
世の中は大騒ぎだ。
自粛ムード一色で、外に出かけるのも警戒しなければならない。
それでも私は4月26日という日を、幸せな日であった、と感じる。
穏やかな日であった。
平和な日であった。
風が心地好く、春の良さが煌めいていた。
そんな幸せな日であった。