短冊を取っ掛かりに考えた。
彦星と織姫が1年で一度、天の川を越えて逢瀬する。
地上の人間は短冊に願い事を書いて、竹に吊るす。
7月7日、七夕祭りは上も下も静かに盛り上がる。
私の願い事、短冊に書いてもいない。
去年は夏祭りで短冊を書く機会があった。
今年は知らぬ間に終わっていた。
うつらうつらしていたら、あっという間に7月も終わりそうだ。
一年の半分が終わって、すでに後半戦に入っている。
何かしなければならないような気がして、貧乏ゆすりが止まらない。
彦星や織姫は毎年、毎年、気もそぞろになっているのではないだろうか?
ふと、久方ぶりに会う相手に成長を見せれないのはしんどいのではないか、と考えた。
毎年、毎年、去年よりも素敵で、来年はもっと素敵な自分でいようとしているのかもしれない。
そうでなければ、何千年も変わらない相手と話しても話が尽きそうだ。
話が尽きないために、愛想を尽かされないために、成長しようとする。
しかし、何千年も続けていたら、ネタが尽きそうなものだ。
短冊の願い事、実は参考にしているのではないだろうか?
時代が変われば、願う内容も変わる。
話のきっかけにもなるし、彦星と織姫のマンネリ解消に役立っているかもしれない。
傾向の分析的な話もできるし、ネタ短冊で大喜利もできる。
その中で、彦星や織姫も挑戦したい願い事もこっそり参考にしている。
何千年と続く逢瀬に、短冊は必須なのではないか、と空想する。
短冊は彦星と織姫も仲を保つのに役立てられている説。
何十光年先の彦星と織姫の想いは、遙か彼方で見通せない。
地上の住人である私は空を見上げるばかりだ。
それでも念のため、今年は願い事を書けずに申し訳ない、と空想の彦星と織姫に謝っておく。
来年、再来年、それより先、彦星と織姫は変わらずに逢瀬をすることだろう。