ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

現代の女子力はより自立した女性である。

女子力とはなんぞや?

質問箱に届いた質問に首を傾げる。

はて、女子力とは一体何であろうか?

 

私の思い描く女子力は、料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまいイメージだ。

さりとて、それが件の「女子力」かと言われると、何か違う。

そも、ジェンダーレス問題が叫ばれる昨今において、「女子」の定義は一体何であろうか?

 

まずは女子力をちゃっちゃか調べてみた。

即ち、現代の賢者、Google先生にご質問した。

Google先生曰く、以下の回答を得られた。

 

一般的に女子力とは、社会が女性に対して求める「こうあって欲しい」という理想像を満たしていることを意味する言葉です。

女性に期待される「女性らしさ」があればあるほど、女子力が高いと言えるでしょう。

(2021/5/Googleにて)

 

女子力とはらしさ論とのことらしい。

社会が求める「女性らしさ」が基準とある。

そして社会が求める期待値より高いか低いかが、女子力の高いか低いかになる。

 

私のイメージで当て嵌めると、「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」という社会的な期待値となっている。

いや、この考えは違うだろう。

現代の日本社会に「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」は「女性らしい」と等式で表せられない。

 

「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」は古い価値観である。

女性が「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」ものが前提とする考え方だ。

現代の女性像とはかけ離れている気がする。

 

しかし、「現代の女性像」と「社会が求める「女性らしさ」」もまた等式で結び付かない。

女性にはこうあって欲しい、という社会の役割の位置付けが根底にあり、「女性らしさ」の強要になっている。

未だに「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」ことが「女性らしい」と考えてしまう私のような人間もいる。

 

性別で分けて考えるから都合が合わなくなるのだ。

「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」が男性性であっても良い。

社会が求める「女性らしさ」というこの前提自体がすでに古い価値観なのかもしれない。

 

しかし、古い価値観だからと言って、悪い価値観とは言えない。

「女性らしい」ことが美徳とされた時代があり、また社会がそうした「女性らしい」理想像を求めた背景を無視してはいけない。

「男性らしさ」、「女性らしさ」の役割分担をすることで回っていた社会構造が確かにあったのだ。

 

では、現代の日本社会に即した「女性らしさ」とは何であろうか?

私が考える現代の日本社会の「女性らしさ」とは、「自立した女性」を指す。

自立、この言葉は「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」という古い価値観も内包している。

 

「料理ができたり、可愛い服を着たり、周りへの気遣いがうまい」などは役割としての「女性らしさ」であった。

そこから一歩進んで、「性別を乗り越えて、自分の意志を指し示せる人」が今の社会に求められているだろう。

「自分の意志」というものには古い価値観も含まれているのだから、個々人が思い描く「女性らしい」振る舞いをすれば正解だ。

 

その上で私は、「あなたの選択するすべての選択が「あなたらしい」ので、あなたが思い描く「女性らしい」選択が最も「女子力」のある選択である」と考える。

らしさ論においては、以前書いたものがあるので、貼り付けておく。

 

www.negativehoukou.jp

 

社会は人間の集合体であり、社会の求める像とはマジョリティの結果だ。

様々な姿形がある中で、様々な思いがあるだろう。

「女子力」の姿形も様々にあっても良い。

 

私の思い描く「女子力」は先述したものでもある。

なので質問への私の回答を以下で言い切る。

 

現代の女子力はより自立した女性である。

 

自分が抱く古い価値観と向き合うのは、中々面白い。

ご参考になれば幸いだ。