ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

1324(誕生日の返信履歴)

5月24日は私の誕生日であった。

例年、Facebookのタイムラインに私宛の祝言が届く。

今年は26人から「おめでとう」と祝って頂いた。

 

折角お祝いして頂いたので、一人一人きちんとコメントしよう。

今年は数字に因んで順繰りに書いていこう。

つまり、1〜26までの数字を使って、返事としよう。

 

この記事は、その返事の履歴である。

多少、改変しているのはご了承頂きたい。

 

 

お祝いの言葉、ありがとうございます。

 

まるっと一年経ち、また一つ歳を取った。

一歩一歩惑いながら、また一つ節目を迎えた訳だ。

これからも一進一退、明日の私を追い求めていく。

 

仁誠喜燃日、何だか良い言葉だ。

仁、思い遣りを持ち。

誠、正直に。

喜、今を楽しみ。

燃、決意を新たに。

そういう日なのだろうと、解釈した。

男に二言無く、今を楽しむ。

 

仏の顔も三度まで、言うが、私の怠け癖は中々どうして直らない。

三千世界の烏を殺して静かに眠りこけたくなる。

ただ怠けて今の私なので、仏さまには諦めてもらって、許して欲しい。

せめて、三度三度の感謝は忘れないようにしよう、と心を新たにしている。

 

何だかんだ会わなくなって一年経つだろうか?

ご活躍はたまに風の便りでお伺いしている。

四方、どこにも行けない現状ですが、四つ角交わる時もあるだろう。

その時を楽しみにしている。

 

毎度毎度、五里霧中、道に迷って惑っている。

大過はなくても退化して、思考だけ飛躍してまた迷子だ。

それも私と開き直って、大過も飛躍も一緒くたに、邁進していく所存だ。

 

子どもの頃は見えていたであろうものが見えなくなって久しい昨今だ。

第六感など最初から無かった、あれは幻だったと子どもの私を見ている。

しかし、第六感が無いからと言って、自分の感覚を鈍らせる道理はない。

なるたけ気付けるように、子どものような私は考えている。

 

なくて七癖、と人間は誰でも癖があると聞くが、自分の癖の強さはどうにかならないか、と思わなくもない。

昔は癖を直そうと必死だったが、どうにも頑固な寝癖のように一向に直らない。

それどころか、癖が増えたような気さえする。

ああ、これが私の味だと言える、七癖を飲み込められる大人になりたいものだ。

 

仏さまのように八面あったら良いのに、と感じている。

色々とやりたいことに手を出し過ぎて、自分の首を絞めている。

八岐大蛇を討ち取ったヤマトタケルのような気概が果たして私にあるのだろうか?

いや、うっかり八兵衛、聞かなかったことに。

ただただ、頑張る。

 

猫の魂は九つ、と聞くが、九生あったら色々とできそうだ。

残念ながら私の魂は恐らく一つ、一生のみだ。

この魂を九尾の狐に贄にしても、騙されてしまうオチしか見えない。

大人しく自分の一生を九生を生きる如く生きていく。

 

十は完全を意味する数字らしい。

ここまで数字に拘ってお返事を書いているけれど、完全には程遠く感じる。

十分に言葉を尽くしているつもりで、未熟な私が見え隠れ。

不完全、取りこぼした言葉を今日も明日も探していくばかり。

 

十の次が十一になるように、一区切りを迎えても次の数字を数え始める。

十の次が一ではなく、十一とするところに、今までの積み重ねは残る。

十あった、確かに、その先の十一へ。

私も十の次を積み重ね、数えられるようにしていければな、と考えている。

 

十二単の着物は大層重かったのではないだろうか?

きっと汗も大変かいたに違いない。

それでいうと今の時代、何を着るのも自由だ。

悪い面ばかりではなく、良い面もきっとあると今の時代を鳥瞰していきたい。

 

十三の数字は不吉の数字、と聞く。

けれど、元々は吉兆のまじないの、良い数字だったらしい。

誰が歪めたのか、ジェイソンか、学校の怪談か?

今更、歪みを直すつもりもないけれど、謂れを知ると見るも変わるな、と自分事としても思うところがある話だ。

 

まさか誕生日を祝われるとは思わなかった。

甚く感謝致す。

このことは十四な出来事として記憶しておく。

書き間違えた、重要な出来事として、だ。

 

十五の夜を歌われた昭和が過ぎ、平成も過ぎ、今は令和だ。

十五の頃の私はまだまだ子どもだったが、今も十五の私と大差ないような気がして、振り返って凹んでしまう。

それでも時代は進むので、十五の私に窓ガラスを割らなかったことを褒めて、前を向こうと考えている。

 

一六日、一と六のついた数字に稽古をする日、と今さっき調べて出て、驚く。

知らなかった知識に触れるのは、面白い。

世の中知らないことばかり、まだまだ世を楽しめそうだ。

双六投げて、一六の出目を出すように、今この瞬間を楽しむ。

 

十七、と言えば、十七番目の数字だ。

何を当たり前のことを、と思うかもしれない。

斯くいう私も何を書いているのだろう、と首を傾げている。

こういう何でもないことも良い感じに言える人間になりたいものだ。

 

最近、私の十八番と聞かれたら、「脚本の速筆です」になったような気がする。

これからもっと書いていけば、もっと確固とした十八番になるかもしれない。

好き好んで書いて、書いて、書いて。

胸を張って十八番だ、と言えるまで書いていく。

 

昔、「19」のCDが家にあったな、と思い出していた。

多分、姉が買ったもので、何となく聞いた記憶がある。

「19」のメンバーの皆さんが今は何をしているかは分からないが、世に作品を送り出したことに深く敬意を抱く。

私も世に作品を送り出せるよう、できることをやっていく。

 

まだまだです、未熟者だ。

二重の意味で、大人に成れていない。

二十歳を超えたら成人、などそんな都合の良い夢はなかった。

二重の意味(まだまだ幼い、未熟者)で、大人を目指していく。

 

二十一が数式に見えた。

「にいたすいち」と頭で言えば、答えは「さん」になる。

二十一はそのまま見れば「にじゅういち」だが、ちょっと見方を変えれば、答えは変わる。

なるだけ多くの見方、視点ができるように、頭をスライム並みに柔軟にしていきたい。

 

2はピース、平和を意味するところがあると聞いたことがある。

ならば22はダブルピース、平和も二乗でような気がする。

数字もゾロ目だし、22は欲張りセットに違いない。

ただ、欲をかき過ぎて平和な自分の小さい世界を壊さないようにしないと、と自戒も忘れないようにしたいな、と考える次第だ。

 

(ケーキ写真を見て)

すごい!(鬼滅の刃の)炭治郎だ!えげつないクオリティ!髪の質感とか神!

実は数字縛りで順繰りに返信していて、この返信で「23」である。

私は「23」を見ると「兄さん」と読んでいるので、妙な一致を感じている。

素敵な写真をありがとう、私も長男なので頑張る。

 

一日が二十四時間で、仕事だと長く感じ、趣味だと短く感じる。

最高のときも最悪のときも時間は平等に流れていく、とは分かっているけれども。

二十四時間を仕事では半分に、趣味では倍になったらな、と夢想してしまう。

欲深い業を背負いながら、今日も明日も二十四時間、ただ今を楽しむことだけはしっかりとしていく。

 

永遠不滅、とは中々の難問だ。

人の寿命も、何か作った物も、何時かは砂に成り果てる。

しかし、頼まれたからには可能の限り応じよう。

2525(ニコニコ)と狂い嘆き高笑いしながら、私は私のために私らしく日々を過ごしていく。

 

ここまで26人の方にお祝いの言葉を頂いた。

26人、私の生まれた日に一言お祝いの言葉を書いてくれた人が26人だ。

知っている人、会ったことはない人、それでも私が生まれたこと祝ってくれる人たちがいるのは、何とも面映い気持ちになる。

祝ってもらえるような人間に少しでも成れるよう、顔を上げていく。