やにわにまにまに百鬼夜行は疾うに過ぎて。
代わりに聞こえるは新聞配達のバイクの排気音。
静謐な部屋の明かりは眩しくて、夜の影が入り込む余地もない。
柱にもたれて、足を投げ出し、数時間。
首と肩と腰がみしみしと痛む。
ブロンズ像の苦労に思いを馳せて、日が昇るのを待つ。
私は動かずにこの部屋の隅でだらけている。
それでも地球は自転し、公転する。
地球が動いているならば、同じ空間ではないはずで、常に別の空間に移動し続けているのだろう。
こう考えると、「動く点P」は私なのかもしれない。
点Pはその場にあるだけで、空間自体が動いているのだ。
X軸とY軸のグラフ自体動いていて、点P自体は打たれたままなのだ。
観測するとあたかも点Pが動いているように見えるが、実際はグラフ自体が動いている。
しかし、点Pの視点では打たれたその場から動いてない。
点は打たれた場所に留まり続ける、巨大な空間が常に動いている中で。
ある場所に留まり続けている、というのは点の視点だろう。
同時に空間が常に動き続けている、というグラフの視点もある。
留まり続けることと常に動き続けることが両立する、巨大な空間と点だから成立するのかもしれない。
互いに差が大きければ大きいほど、実は共存できるのかもしれない。
同じ方向性でなくても、差の大きさがお互いの性質を均す。
留まることも動き続けることも、どちらも正しいのだ。
ざっくばらんに適当に考えたが、悪くない考えかもしれない。
備忘録として参照できるようにしたい。
静謐な部屋がやにわにまにまに動き出す。
さて、朝になる。