劇団の演劇活動が始動する。
ゆるゆると緩くやっていく。
「緩くやる」という姿勢が内側に向き過ぎているきらいがあるのは認める。
緩さはそのまま芝居の細部を雑にさせる。
関わり方の頻度と完成度は比例する。
良い作品、芝居、演劇をしようとするならば緊張感は必要だ。
しかし、劇団の成り立ちや構成員の状況やこれまでの積み重ねなどを考慮すると「緊張感」を持つのは至難だ。
他の劇団ならクリアーしている基本的な「緊張感」が、当劇団で最も難しい項目だ。
「緩くやる」ことが劇団員同士の繋がりを保ち、2年間の活動を支えてきた面があるから「緊張感」が持ちづらいのだ。
足並みを揃えなければならない場面は出てくる。
その時が正念場であろう。
正念場が一回で済めば良いのだが、現実はそんなに都合良く展開しない。
ただ、「緩くやる」中でも創意工夫はできる。
私の観たい演劇をすると宣言し、今回の演出担当である私が考える べきところだ。
1から10に跳ね上がれば誰も着いて来れないが、2や3程度の緊縛感の上がり具合なら負担も少ないはずだ。
こういう思考回路は相手を舐めているのかもしれない。
本当は私が考えるより全然しっかりやる気があって、がんがん厳しめでもやってくれるかもしれない。
相手に厳しく接するというやり方の塩梅が分からず、私が縮こまっている節もある。
良い面を伸ばして、悪い面もカバーできたら良い。
「緩くやる」姿勢が現在の劇団を形作っているのだから、その姿勢自体は良い。
演劇をする上での向き合い方が課題だ。
それとも勘繰り過ぎなのかもしれない。
これからリモート稽古なりやり取りが活発化すれば、自然と盛り上がるのかもしれない。
だからと言って考えないという選択はないのだが。
まずは一歩、踏み出す。