稽古について考える。
時間は2時間、たっぷりあるようでそうでもない。
演出としてはじっくり見れる機会なので、取捨選択をしっかりとし たい。
自分の見たい演出を言語化する上で、具体的にどうしてもらうのか 、考える。
私の頭にある知見を見比べ、当て嵌め、工夫する。
演出をするのは、中々に楽しい。
アルプス乙女ユニオンズのコタさん曰く、私は演出に向いているらしい。
演出に必要な資質があるとのこと。
演出の資質とは「どうしたら周りの人を動かせるか(楽しませるか 」を考えられるか、らしい。
道化がぴったりと私は考えているので、自分のキャラをゴリ押しすることがある。
自分のキャラをゴリ押しするには、周りのある程度見ないといけない。
このある程度周りを見て動いていることが演出に向いていると見られた、と客観視している。
その上で演出は、「如何に相手にやってもらうか」に腐心すべきとのこと。
役者は「やったもん勝ち」、演出は「やってもらい勝ち」だ。
演出の観たい演劇をするには、役者が協力してくれないと成立しないのだ。
私の課題は、「どうやって伝えるか?」の部分だ。
指摘されて首がもげるほど頷く。
演出の難しさは、相手に伝える難しさだ。
相手に伝えるためには、演出は曖昧さを可能な限り減らす必要があるだろうか?
いや、曖昧なままの方が伝わることもある。
「明度80、彩度100、シアン90」と言うより、「朝明けの青空」の方が伝わるようなものだ。
いや、それぞれ違う人間なのだから、言葉の定義も解釈もそれぞれ違う。
先程の例も「朝明けの青空」よりも「明度80、彩度100、シアン90」の方が伝わる人もいる。
結句、相手を知らなければ、私の言葉の使い方も分からない。
しかし、演出を考えるのは大変に楽しい。
私の言葉を探る作業とは即ち自己発掘作業だから、相手に伝わらなかった言葉を掘り下げると新しい発見が見付かってワクワクする。
こういった点で私は演出が好きだ。
ふと、自身を振り返る。
脚本で物語を書くのが好きで脚本を書き、人前で表現するのが楽しくて役者を前向きになり、試行錯誤が面白くなって演出に嵌る。
どっぷり演劇に囚われている、何て言うことだ!
演劇しか話題がなくなって他の人と話す時にちょっと困りつつ、日々楽しむ、6月下旬だ。