危険な思想を取っ掛かりに考えます。
窓の外の広葉樹が黄色く光っています。
日の当たらない針葉樹は青く、夕闇のコントラストを演出しています。
葉の隙間から見える空は透き通るような水色で、今日が晴れていたことを伺えます。
今日はどんな1日だったのか、椅子にもたれながら馳せてます。
ふと、前職を解雇された理由に私が危険な思想であると判断されたことが頭をよぎります。
何故危険な思想が解雇の事由に成るのだろうか?
考えるだけなら、何を考えても問題はないのでしょう。
考えるだけではなく、世の中に投げかけたことが問題で、著しく会社に迷惑と損害を与えた、と考えられます。
マザーテレサは次のことを言いました。
「思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから」
危険な思想はいつか危険な言葉を言い、それがいつか危険な行動へと移る。
そうした行動がいつか「危険なことをすること」を習慣となり、いつか危険な性格へとなる。
そして、危険な性格の人物の運命は勧善懲悪の理に従い、罰を受けるでしょう。
だから、危険な思想は怖がられるのです。
私の今の現状はそうした運命であったと考えました。
あえて、言い切る。
ネガティブ思考は私の運命を悲哀と喜劇で彩ることになる。
そんなことを考えながら、窓に再び目をやると、いつの間にか障子で閉められてました。
私のこれからを暗示しているようでワクワクします。
皆さんの運命が幸多からんことを祈ります。