今日は駄目な日だ。
腕が鉛でも仕込んであるかのように重い。
調子が良い日と調子が悪い日が交互にあるような気がする。
幸か不幸か、9月20日は休みだから、調子が悪かろうと何とかなりそうな気がする。
付け加える内容も、調子が良い日と調子が悪い日についてにしよう。
こう考えるに、調子が悪い日も悪くない。
継続しているから分かった、調子の波。
躁でも鬱でもないけれど、調子の波が激しい。
調子の良い悪いの違いは何だろうか?
前提として、「継続する」ことが関係あるように推察する。
「継続する」とは、「時間を確保する」ことから始まる。
平日の中で、ご飯を作るのに30分、食べるのに30分、睡眠は8時間、仕事場への往復が40分、働いている時間は休憩時間も含めて13時間、その他諸々があって、「継続する」ための、自由な時間が1時間。
この1時間を、ブログを書くのに私は当てている。
「1時間もあるじゃないか」とあっけらかんとする人もいるだろう。
「1時間しかないのか」と悲嘆に暮れる人もいるだろう。
1時間あれば、私の住んでいる場所から松本市街地まで余裕で行ける。
1時間あれば、サッカーの前半戦が終わって、後半戦のキックオフくらいだろうか?
1時間あれば、ドラマ初回放送の終盤に差し掛かる頃だろうか?
1時間というのは結構長い。
ブログを書くとなると1時間は、私の場合、1000文字程度は書ける。
「継続する」ことに770文字を書くことにしているので、十分と言えば、十分だ。
しかし、そこに、「調子の良し悪し」が入ってくる。
そうすると話が変わってくる。
調子が良いと、睡眠時間を削っても問題ないくらいに文字が出てくる。
770文字どころか、2000、3000文字も書ける。
調子が悪いと、パソコンの前に座って、じっと固まる。
1文字も書く言葉が出て来ない。
日によって、1時間「も」あると感じるか、1時間「しか」ないと感じるか。
その感じ方は、「継続する」という意識の問題なのだ。
もし、「継続する」ことを放棄すれば、1時間は私の好きにすれば良い。
もっと寝れるかもしれないし、好きな漫画を読むことだってできる。
しかし、私は「継続する」するために「時間を確保」した。
毎日である、1日も欠かさず。
ご飯を食べるのさえ、たまに忘れる私が、「継続する」というのは、実は途方もないことなのだ。
そう言う意味では、調子が悪いと言える状態がそも珍しいことで、そう言えることが幸せなことだ。
だからと言って、調子が悪いと記事が書けないので、できれば調子が悪くてもしっかりと書けるようになりたい。
「意味のない数字」を方向性については、現在進行中で、これがまとまれば、調子が悪かろうが多少役に立つ、と今は言っておく。
例え、調子が悪くても、記事作成が難なくできる、そんな未来を微粒子ほどに期待する。
上手く付け足せただろうか?
そこはかとなく不安だが、これで締める。
投稿します。