昨日の「113」を書いた後、ふと感じる。
興が乗らないと駄目だな、と。
言うことを聞かない両指と、反抗するまぶたに、サボタージュの申し子の脳を備えた私は、今後のことを考えてみた。
9月で1周年を迎える当ブログ。
それに際して、何か背伸びをしようと考えている旨を、いつぞやかに書いた覚えがある。
どうしようか、と考えていたが、「113」を書いたことでよく分かった。
これは、興が乗らないと結句、書けないということ。
もしも、「1000文字を書く」と定めた場合。
ある一定期間は、多分毎日書ける。
しかし、恐らく、何処かで気持ちがぷっつりと切れる。
一度切れると本当に書かなくなる。
ここで「1000文字」と決めていると、「1000文字書いていないから投稿しない」となる。
そうして、面倒が勝ち続け、気付けば、半年以上は経っていることだろう。
面白いことに、そうした放置はするくせに、ブログを閉鎖しようとは考えない。
投稿はするつもりでいるのだ。
ただ、興が乗らないだけの話。
背伸びをする上で、この興が乗る状態にするのが必要だ。
何故なら、興が乗れば、1000文字なんて1時間もあれば打てるし、それ以上も書ける。
実際、私が興が乗った記事の中には、3000文字、5000文字オーバーもある。
では、興が乗るとは何か?
私がよく興に乗って書いている場合はどういった時かを考えてみた。
すると、以下の3つが関係していると推察する。
1つ、興味があること。
2つ、書かなければならないこと。
3つ、眠くないこと。
この3つが興が乗ることに関係していると考える。
興味があるから、それについての造詣があり、書くことが途切れない。
書かなければならないことは、それ相応の思考をしているから。
眠くないことはモチベーション、「よし書こう!」とするまで時間が必要で、書き始めにおいて重要なファクターだ。
眠くないことが一番大事な気がする…
他の2つは、書こうとする上での動機であり、眠くないことは先述した通り、モチベーションの類いだ。
つまり、眠気よりやる気が上回るような、動機が必要?
うーん、よく分からない。
とにかく、興が乗れば1000文字くらい余裕で書けるという自負はある。
レジの会計で綺麗なお姉さんが両手を添えてお釣りを返した時に「これは惚れているな」と仰け反るような自負。
または、カードゲームのデッキに限定レアカードを仕込んで「ドローした時に相手は驚くだろうな」と鼻を膨らませるような自負。
…あれ?これは自負でなくて、自惚れではないだろうか…?
とか何とか言いつつ、1000文字オーバー、今日は興が乗った。
答えが出るかは分からないが、興が乗るにはどうするべきかを考えてみる。
一先ず、1周年までに。
投稿します。