「154」を書き直さず、付け加えず、次の記事を書き始める。
きめ細やかな雨が音もなく降っている。
薄い雲で覆われているためか、指先から冷たい空気が通り抜けていく。
付け加えることは、後で転がして思案する。
ライトノベルの感想か、旅の感想か、はたまた別の事か。
丁半博打で投げられるサイコロのように、行く末を転がす。
ふと、「770文字を毎日書く」と言ったが、後から付け加えるのは、良いのだろうか?
誤魔化し誤魔化し、毎日を過ごしているのでは?
いや、私にとって重きを置いていることは「継続する」ことである。
「770文字」はおまけで、しなくても本当は良いことだ。
継続するためなら、1文字でも良いとさえ私は考えている。
そも、「私」の追求は、私自身の生き方においての問答であって、学術として他に知らしめるためではない。
多くの意見を募りたいのは、「私」の追求する上で最適解を求めたいからで、「私」の普遍化は目指していない。
私の身勝手な自己満足の域から出ておらず、自己満足の域の外、私以外の人間の満足は度外視している。
何処まで行っても、この私。
アンパンのマンのとある歌で、ある歌詞が共感する。
「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ」
当ブログを継続する意味は。
私が「私」の追求をする意義は。
私は「このために生まれて、これをして生きる」と答えるため。
誰に答えたいのかは、もちろん、私自身にだ。
実は、そんなに難しいことではないのかもしれない。
ただ、私がいつまで経っても納得できないだけ。
何処まで行っても、どんなに遠く進んでも、地平線の彼方、世界の果てまで行っても、行き着く先は、この不甲斐ない私。
故に、諦めて、拘って、もう一度歩き出す。
答えが変わらないからと言って、私が歩むのを止める理由にはなり得ない。
もっと、別のことに興味が湧けば、また違うのだろうか?
雨脚強まる正午過ぎ、冷えた手の平に、熱い息を吹き掛ける。
投稿します。