冬の寒さが居座っているから、フローリングの床をつま先歩きをする。
予めストーブで暖めた部屋の戸を、一息に開けて、閉める。
窓ガラスから冷気が顔を覗かせているが、暖まった部屋の熱に阻まれて中までは入ってこない。
ふと、昔のことを思い出す。
今日のように寒い日、私は長野に向かう電車に乗った。
当時の私は、いつも明科駅という駅舎から長野駅へ向かっていた。
当時は自転車が私の専らの移動手段で、遠くの長野市に行くには、最寄り駅の明科駅から向かうのが常套手段だった。
明科駅から長野駅までは、1時間の道程だ。
なので、いつも乗り込んで直ぐに空いている席に身を沈める。
1時間はそこそこの睡眠時間になるので、私は決まって寝ている。
しかし、その日は若干の込み具合で、席に座ることができなかった。
致し方ないので、邪魔にならないように壁際に寄って、立った。
1時間の間、立ちっ放しなのは辛いな、と考えながら何となく周りを見渡した。
何て事もない、普通の人たちが、普通に思い思いのスタイルで寛いでいた。
その中で、私と1mちょっと離れた近さで女性が立っていた。
温かそうなコートを羽織った、20代くらいの女性だ。
私はその女性を見て、違和感を覚えた。
何かが変だ、と私はよく観察すると、違和感の正体が分かった。
女性が被っているニット帽が、裏返っているのだ。
その証拠に、内側で隠れるであろうタグがひょっこり出ているのだ。
また、如何にも裏返っている感じの、内側の縫い目がばっちり見えていた。
そういう風に見えるニット帽かもしれない。
または、あえて挑戦して裏返しているのかもしれない。
しかし、もし、もし間違えて、裏返したまま被ったとしたら…
どっと冷や汗が出てきた。
私自身、ニット帽を裏返して被ったことがあるから、人事に感じなかった。
声を掛けよう、として、思い止まった。
ここで声をかけたとしよう。
私の予想通りなら、女性はニット帽を被り直すだろう。
それで?その後はどうなる?
大方の乗客は終点の長野駅まで乗車している。
おそらく、この女性も長野駅まで乗って行くことだろう。
そして、私も長野駅まで乗って行く。
つまり、1時間の間、女性と私は逃げ場のない車両内で、衆人に囲まれながら、共に過ごすことになる。
気まずい、大変に気まずい。
声を掛けるのは、止めた方が良いのか?
ふと斜め後方から、クスクスとした笑い声が聞こえた。
それとなく、それとなく後ろを見た。
3人組の20代の女性グループが、目線でちらちらと見ながら、嗤っていた。
勘違いかもしれないが、被り間違えた女性を嘲笑しているように見受けられた。
心臓がばくばくと脈打ち始めた。
どうしよう、声を掛けないのは論外だ。
しかし、今、声を掛けるのは、正直キツい。
なら、女性が降りた瞬間、声を掛ければ良い。
それなら、女性も逃げられるし、私も逃げられる。
電車の中はすでに見られているが、ホームに降りた直後なら、彼女の被害が最低限に抑えられる。
そうと決めたら、目を瞑って、とにかく時間が過ぎ去るのを待った。
揺られること、1時間、長野駅に着いた。
女性は、結局最後まで乗っていた。
仕方ない、これは仕方ない、と自分に言い聞かせた。
女性がドアから出ようとした瞬間、私はそっと肩を叩いた。
「帽子が裏返っていますよ」と裏返りそうな声で言った。
女性は、驚いた顔をして、帽子を脱ぐと、「済みません」と小さい声で言った。
斜め後方からは、はあ?と冷めた声が聞こえた、気がした。
私は、では、とぼそりと言ってさっさと出て行った。
済みません、もっと早く声を掛けられなかった私を許してください、と心中詫びを入れながら、改札口を出て、目的の場所へ向かった。
在りし日の、今しがたまで忘れていた、小さい出来事だ。
あの女性に声を掛けて良かっただろうか?
もしかして、あのまま声を掛けなかった方が良かっただろうか?
それとも、やはり、もっと早い段階で、声を掛ければ良かっただろうか?
答えが見つからない、見つかってもどうにもならない、細やかな感傷で胸がちくりと痛む。
冬の寒さが居座る今日と同じように寒かったあの日に出せなかった答えを今、探している。