西日が雲の周りを白く縁取っている。
縁取られた雲たちは、集合体の雲ではなく、1つ1つ別の形をした雲である。
西日を受けた雲たちは、私には何処か誇らし気に見える。
この風景に電線柱と電線は、邪魔だ。
広大な自然を無遠慮に私の視界を横切る。
上質なクラシック演奏を聞いている横で、ポップコーン片手に喋っている客並みに、邪魔だ。
電線自体は、好きだ。
横へ横へリズミカルに、軽快に何本物線が走っている様が好きだ。
この線が真夜中にトイレへ行く時に、何かいるかもしれない想像の恐怖を瞬時に追い出してくれるあの光を運んでくれることには、感謝さえしている。
電線柱自体も好きだ。
縦にすっくと立った電線柱は規律を守って並んでいる様が好きだ。
何処か知らない土地に迷い込んだ時に、この柱に書かれた番地がここが何処なのか教えてくれることには、いつも助けられている。
ここが都会だったら、むしろ最高だ。
無秩序な空間に四方八方に飛び交う電線は闇夜に紛れる忍者のように、格好良い。
意識しなければ存在しない電線は、スズメにとっては憩いの場にするのに丁度良い。
延々と続く道に列なる電線も素敵だ。
この先の向こうにまだ見ぬ街があるのを予感させる。
道と電線柱と電線の相性は抜群だ。
しかし、山や川の風景だと、途端に煩わしくなる。
写真を撮るときなどは、片っ端から引っこ抜いてしまいたくなる。
山との相性は最悪と言わざる得ない。
西日が雲の周りを茜色に縁取っていく。
縁取られた雲たちは、日が沈むのを寂しがっている。
そんな感傷にいちいち電線は目に入る。
風景のデザインをもっと考えてほしい。
行政に求めることではないかもしれないが。
ただただ、勿体ない、そう私は感じる。
夕暮れの7月8日の所感より。