後で書き直す。
「後で」は今ではないということ。
今この瞬間ではない、ということ。
つまり、その気になれば先延ばしがずっとできる。
今は書かないけど、と後で書くから、と。
その後がもう来ないかもしれないのに。
後で書き直す。
今この瞬間ではない、後で。
然して代わり映えしないだろうが、後で書き直す。
全力で言い訳しながら、投稿する。
後が来たので、書き直す(2018年8月10日)。
今この瞬間に書き直す訳だ。
さて、何を書き直そうか…
まず、短文投稿に至った経緯でも説明しよう。
仕事が忙しくて、書く暇がなかった。
遅れた予定を元に戻すために、やりくりしていたらなくなったのだ。
いや、なくなったと考えていたが、気を遣われてちょっとの時間はあった。
しかし、文字通り目が回りそうな気がして、そのちょっとの時間は大いに休んだ。
つまり、その瞬間は、後ではなかったのだ。
それでも、投稿したのだから、もっと褒められても良いのではないか?
毎日投稿している私は偉くはないか?
「後で書く」と書いて投稿することは、むしろ、誠実で素晴らしいことではなかろうか?
現実、こうして、私は書いている。
素晴らしい。
ししゃもを一口齧った後で食べる白米のような素晴らしさだ。
短文であることは恥じることではないだろう?
継続することに意義があるだろう?
あの瞬間は、この素晴らしい出来事にするために、あえて、あえて書かなかったのだ。
そう、あえて、あえてね?
その気になれば、こうして書くことはなかったかもしれないが、私は書いている。
素晴らしい、清々しい、凄まじい。
崇め奉っても構わないよ?
私は書いた、書いたのだ!
そうさ、書いた、書いたのだ、書いてやったのだ。
素晴らしい、何か、こう、素晴らしい。
だから、そんな責めないでほしい…
いや、誰も責めてはいないか、いや、責められる謂れもないけど?
責められる謂れはない?
本当に?
書こうとすれば、昨日の内に書き直せたのに?
いや、だから、それは、あえて、あえて書かなかった、訳で。
仕事だって疎かにできないでしょ?
疲れた身体で書いても、良い文章は書けないでしょ?
良い文章…?
はて、私は何時、良い文章を書いただろうか?
そも、仕事にそんな励んでいただろうか………?
いやいや、だから、それは、ほら、あれだよ、あれ…その………いや……………その……………………………………
…そう、その事は、後で書くよ。
今、この瞬間は、書いていることを賛美すれば良いよ。
そうだ、そうだ、その方が良い。
後で書くから、今この瞬間から、後で!
然して、代わり映えしないだろうが、後で書く。
何度でも、全力で言い訳をして、投稿し直す。