今週のお題「リラックス」
午後2時に目を覚ました。
ぬくら身体を起こし、そのままぼけっと座り続ける。
次の動作に移ったのは、5分後だ。
時間ばかりが否応なしに進んでいく。
何もしないでいる時間が何かをする時間を減らしていく。
何もしないでいる時間をもっと欲しいが、そうした時間は30代の働き盛りには望めないか?
さて、リラックスとは何であろうか?
いや、分かっている、落ち着いた環境で落ち着いた心境になることだろう?
しかし、お題は「あなたはどうやって「リラックス」していますか?」とある。
リラックスについて語るなら、リラックスについて知らなければ成るまい。
しかし、どうにもリラックスについて私は知っていない気がする。
前述の何もしない時間は私は欲しているが、落ち着いているかと言われればそうでもないからだ。
何かをしたい、と頭の中で考える。
銭湯に行きたい、散髪したい、ご飯が食べたい、漫画を買いたい、スマートフォンの料金の振り込みをしたい、書き止めている記事の続きを書きたい、メールの返信をしたい。
ぼけっとしている間に考え、気付いたら、できることが指折りしかなくなる。
何かをする時間が限られてくると、今度は気持ちは焦ってくる。
時計を見て、あれができるこれができない、と優先順位を着ける。
そして、根が生えた臀部を根こそぎ掘り起こすようにして立ち上がる。
今日で言えば、スマートフォンの料金の振り込みと、銭湯と、漫画を終わらせた。
焦りから終わらせた、と言って良いのではないだろうか?
それともリラックスの観点から、別の見方ができるだろうか?
よく考えれば、銭湯と書店では随分と長い時間をかけていた。
スマートフォンの料金の振り込みはさっと終わらせたが、そも立ち上がりまでに時間がかかっていた。
長い時間を同じ場所で過ごしているのは、リラックスしているからだろうか。
立ち上がりまでに2時間、銭湯に2時間、書店に1時間はかかっている。
計5時間のリラックスタイムだが、リラックスしていたかは疑問だ。
何故なら、気持ちが浮ついている場面が何回があるからだ。
戦闘態勢、とは違うが、落ち着いていたかは分からない。
特に書店では、あれもこれもと視線を動かして吟味しているので、落ち着きがない。
平坦とは言い難い状態で、リラックスしていたと言って良いのか?
いやしかし、他の人から見れば、十分にリラックスしているのかもしれない。
つまり、何もしていない、何も考えていない状態こそがリラックスの正体かもしれない。
ならば、今日の私は究極にリラックスしていた訳だ、即ち…
リラックスするには、何もしない、何も考えないことから。
…いや、それが難しいから「だから、あなたのリラックス方法は?」となるのではないのだろうか?
私は何もしない状態がある意味でデフォルトだが、他の人は何かをするのに直ぐ起動しているのではないのか?
むしろ、何もしない状態で焦りを覚える私が言っても説得力が皆無で…おや、論理の破綻が見えてくる。
ぬう、リラックスとは難しい。
リラックスとは何か一先ず考えよう。
と、時計を見たら30分が過ぎていた。
ああ、リラックスは難しい。
しかし、恐らく、現状、最高にリラックスした状態な私だ。
何もしないこと、それこそ究極のリラックスではなかろうか?
兎角、深く考えず、時計を隠して、ぼうっとしてみたらどうでせう?