ここ最近、何故かFacebookで友達申請されることが急激に増えた。
1時間に20人ほどのペースで友達申請をされるのだ。
私が何かしたのか、何もしていないのか、定かではないが、困惑はしている。
その中には、既に登録できる人数制限まで行っているにも関わらず、申請してくる人もいる。
そこまでして繋がりたいのか、私には少し理解できない。
とは言え、友達申請してくれた方を無碍に断ることはせず、全員許可している。
例えば、靴の中の小石のようなものだ。
歩いていて、何時の間にか靴の中に入り込んだ小石は、足裏に転がり込むと痛い。
私が望んだ訳ではなく、鬱陶しく感じる。
しかし、靴の中に小石が入るのは、歩いたからだ。
出かけの前に私が靴の中に小石を入れるのではない。
道を歩いていく中で、靴と足の隙間に小石が入り込んでくるのだ。
私が歩いたから、小石が入った。
私の行動の結果、とも言える。
歩かなければ、靴の中に小石が入ることもなかっただろう。
そうして、足裏に転がり込めば、私の輪郭が少し見える。
小石を踏んだ痛みで、私の形が少し分かる。
小石の存在が、私の存在と結びつく。
袖触れ合うも他生の縁か。
靴の中の小石のように、Facebookの友達申請をされている。
鬱陶しいが、私の行動の結果であるだろうし、私の内面を知るのに必要とも考える。
故に、余程邪魔にならなければ、小石は取り除かない。
歩くのに支障が出始めたら、その時に靴から出せば良い。
歩ければ良いのだ、靴の中に小石が入っていたとしても。
このまま増え続けてどうなるかは全く分からない。
この歩みが進む道の終わりには、何があるのだろうか?
行き当たりばったりの旅のような不安と期待が交錯する。
靴の中の小石のように、私も誰かの歩みに紛れ、その一瞬を楽しもうと目論むことにする。