最近のSNSは専らTwitterだ。
事由は、劇団関係者が主にTwitterを使っているから。
Twitterで見ていた方が、演劇関係の情報が得易くなっている。
ふと、SNSの利用は誰と繋がっているかが私には重要なのかもな、と考えた。
1年前なら、Twitterなど使い勝手が悪過ぎて扱いに困っていたのに。
今では暇さえあれば覗く程度に依存している。
私がSNSに最初にやり始めたのは、mixiだ。
リアル友達に招待され、分からないなりにえっちらおっちら投稿していた。
当時はその友達との関係でそこそこやっていた。
1年前は主にFacebookだった。
イベント情報が出て来て、何処かに出かけたい時に便利だった。
イベントで知り合った人の情報も出て、「ああ、頑張っているんだな」とか「大変なんだな」とか眺めていた。
Twitterでも結句、情報を集めることに主点を置いていて。
誰かしらの何かしらの呟きに傍観している。
時折、何かしらのツイートをしたり、コメントを残したりしてタイムライン上に浮かぶ。
もしも私の周りの人がインスタグラムをやっている人が多数なら、私はインスタグラムを頻繁に使っていただろう。
もしも私の周りの人がカカオトークがメインなら、私もメインSNSはカカオトークになっていただろう。
結句、付き合う人によって変わるのだ、とSNSは道具であることを再認識する。
道具に振り回されないように気を付けなければならない。
さもないと、生活が疎かになる。
疎かになって困るのは私だけなので、疎かになっても本当は良いのだけれども。
しかし、道具に振り回されないように気を付けないといけない、と考えるのも本当だ。
包丁は食材を切るのに使うのであって、手首を切る道具ではない。
血をどばどばと出しているのに気付かないような間抜けにはならないように肝に命じたい。
そういった意味では、当ブログは一線を画している。
情報を得るためでも、発信するためでも、繋がるためでもない。
自己満足、収益化度外視、吾が道をゆくが如くなり。
私の私のための私によるブログだ。
血をどばどばと出すことが正解なブログだ。
今後も重宝していきたい。
これからもSNSとの付き合いは続くだろう。
恐らく、死ぬまで。
そうして繋がったり、止めたりして、私の人生に影響し続けていくのだろう。
今日もTwitterで何かを呟こう。
そして、当ブログで何かを書こう。
今、私はここにいる。
ざらざらと12月31日付けの記事を1月23日に書く、間抜けはここにいる。