ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

929

「スランプになるから書けないのではない。書かないからスランプになるのだ」とTwitterのタイムラインに流れてきた。

そういうものなのか、とぼおっと読む。

果たして、何をもってスランプとするのか、分からない。

 

例えば、スポーツであれば、成績が奮わなくなることを指すだろう。

以前に比べて成績不振が続けば、それをもってスランプと言える。

「以前に比べて」がスポーツのスランプの根拠だろう。

 

例えば、音楽であっても、以前と比べて良い音が出せないことを指すだろう。

感覚的な部分が占めるスランプは克服するのは本人次第、なのかもしれない。

スポーツにしても、音楽にしても「過去の自分」が顔を出して苦しめるのだから。

 

しかし、こと書き物におけるスランプは、引き出しの枯渇にを指すのではないか?

「以前に比べて」アイディアが湧いて来ない、筆が止まる、そうして書けなくなると言う訳だ。

スランプになったから書けなくなる、という言い分はこういったことから来ているのだろう。

 

Twitterでの文言はそのことを真っ向から否定している。

つまり、アイディアは量から出すものであることを示唆している。

数打ちゃ当たる、物書きの本質は膨大な量で自身の能力のカバーをしているのだろう。

 

では何故、書かなくなるのか?

それはつまり、書くのが楽しくなくなったからだろう。

ただただ書くことが作業となってしまって、億劫になってしまうのだろう。

 

原点回帰、書いて書いて書き綴る。

そうした姿勢が必要なのかもしれない。

詰まらないことを旨とし、ただただ書いているだけの当ブログには関係ない事柄ではあるが、頭の片隅の更に奥の方にでも書き付けておこう。

 

今日も詰まらないことを書いた。

スランプから最も縁遠い当ブログから、スランプについて書き殴る。