良い恋とは何なのか?
質問箱に届いた彼の質問にきょとんとした。
良い恋とは何か、今までの人生で考えたこともなかった。
中学生の頃、同級生の女子に「愛って何?」と質問するような男だ。
更に彼女いない暦=年齢の人間だ。
恋愛のれの字も意に介したことなどない。
質問の意味が飲み込めなくて、しばし小宇宙の旅に出てしまうほどであった。
しかし、面白い質問である。
恋愛を知らない男が考えてみた。
良い恋、とは何であろうか?
本当に考えた事がないので、想像ができない。
恋はそれ自体が良いものではないのか?
漫画好きなので、ラブコメや少女漫画などは読む。
しかし、それら漫画はある意味で現在進行形であり、私が「これは良い恋」と評するのは何か違うような気がする。
あくまで一読者である私は彼らの見守る立場であり、どのような結果でも「良い恋だった」と祝福、すべきだろう。
同様に実際の彼女彼氏諸君においても私が「良い恋している」と評するのは見当違いな気もする。
恋愛について何も知らない人間が「良い恋している」とか勘違いも甚だしい。
ちょっと馬に蹴られて肥溜めに頭から突っ込んでしまった方が良い。
別角度から考えてみよう。
「良い」という言葉を使っているのだから、くらべているのだろう。
諸説あるが、「良い」の語源は米粒を選別する、よいものを選ぶことからきている。
そして、「良い」とあるのだから反対の「悪い」もあるはずだ。
つまり、悪い恋とは何であろうか、それを考えた方が早そうだ。
何を以て悪い恋とするか。
悪い恋、と考えてみると、相手がろくでなしのクソ野郎だと悪い恋になるのではなかろうか?
騙された、裏切られた、小っ酷く振られた等、忘れたいような相手だった場合は、悪い恋だろう。
貴重な自分の記憶媒体の容量から1秒でも早くゴミ箱に捨てて完全削除をしたい、そんな恋が悪い恋だろう。
忘れたい相手が悪い恋ならば、思い出したい相手が良い恋だ。
振り返ればあの人と過ごした日々は楽しかった、と言えるような恋だ。
ファイル名に「あの日々の思い出」とか名付けて、仕舞っておきたい、そんな恋が良い恋なのだろう。
くらべるという作業は客観性があり、自分の恋が良い悪いと判じるには主観的過ぎる。
恋が何かしらの形で終わって、過去になり、振り返ることができて、初めて良い悪いと評することができる。
故に、私はあえて断じてしまう。
良い恋とは、良い思い出として記憶しておきたい出来事だ。
良い思い出とは、ある種の美化も含まれるだろう。
良い恋だった、と腹に落とすために不都合な部分は切り捨てる。
一種の理想化が良い恋のプロセスにあるのではなかろうか?
あれは良い恋だった、と浸れる感傷は、思い出だから許される。
現在進行形で浸っていたら、ただただ痛い奴だろう。
良い思い出として、誰に見せる訳でもなく、胸の内に仕舞っておけば良い。
さて、意外と良い答えになったのではなかろうか?
いや、私自身が恋愛について知らないのでこの回答も「何だこいつ?」となりそうではある。
しかし、私自身が考えた良い恋なのだから、私の中で正解ならそれで良い。
……良いはずだ、多分。
拗らせて、拗らせて、また拗らせる。
恋愛は遥か彼方か、私が恋愛にログインできる日は果たしてくるのだろうか……