人生をやり直せるなら、どこからだろうか?
今の記憶を保持したまま、過去の私になるのだろうか?
そうした場合、私はいつからやり直したいのか?
勉学で言えば、小学校の頃に戻ってやり直したい。
一から勉強すれば、身に付くものが違うだろう。
中学の受験勉強辺りでも良いかもしれない。
専門学校じゃなくて、大学生になるべきだったろうか?
少なくとも、2年は余裕が増える。
大学も東京など、長野県を飛び出して良かったかもしれない。
専門学校卒業後の活動、今ならもう少しうまく立ち回れたかもしれない。
O氏との関係も拗れなかったかもしれない。
もっと面白い発想が出てきたかもしれない。
ブラジルでの渡航も、もっとうまく動けば良かった。
松本のあの職場も、もっと言葉を選べば良かった。
祖母に会いたいし、もっと色々と孝行できた。
しかし、たらればを考えて、やはり、やり直さなくて良い。
過去があるから私なのだ、それをもう一度体験する必要はない。
過去があるから色々と気付けたこともある。
過去とは瞬間、瞬間の積み重ねだ。
望む望まざるに関わらず、瞬く間に過ぎ去る。
故に私なのだ、その過ぎ去った残滓が私に成ったのだ。
それに、過去に戻っても、きっと私は変わらない。
変わらないから、戻っても、大した違いもない。
いたちごっこした思考で、最早追体験は済んでいる。
人生をやり直せるとしても、私は黙って首を横に振る。
今、この瞬間、私は楽しむ。
それで良い、それが良い、それこそが良い。
幾つもの後悔の墓標を背負いながら、墓場まで運ぶ覚悟でいる。