「仲が良い」と言われたことに対して考えた。
2人以上の互いに関係のない人から同じことを言われたら真実だ。
私の中で私や私の現状を知る一助にしている。
互いに関係がないから申し合わせした訳ではないのに、同じことを言われるのはそういう風に見えるということに他ならない。
最近で言えば、副主宰とのやり取りにおいて「仲が良いね」と言われた。
私は人間関係の構築が下手くそだ。
「仲が良いね」と言われると、疑念が先に起きてしまって座りが悪い。
片方は空想≠カニバルさんで客演に出ていた方だ。
松本市の上土劇場で簡単なお手伝いをしている最中、副主宰とのやり取りを見て「仲が良いな」と言った。
私は副主宰が親切で手渡してきたマフラーをぶん投げている所を見てそういう発言が出たので不思議に感じた。
もう片方は所属している劇団ぱすてるの劇団員から言われた。
LINE通話で副主宰の煮え切れなさを私が憤慨して言っていたら、やはり「仲が良いね」と言われた。
その時もどうして「仲が良い」と言う発言になるのか、猜疑心が出てくる。
もしかしたら私が知らないだけで面識があるのかもしれないが、普通に考えればお互いに知らない相手だ。
その両名に同じ「仲が良い」と太鼓判を押される、つまりはそういうことなのだろうか。
基本、副主宰にはそっけない態度なので、私のイメージする「仲が良い」とは何か違う気がしてしまう。
果たして、本当に副主宰と仲が良いのだろうか?
実はあまりにギスギスしているからオブラートに包んで「仲が良い」と諫めているパターンはあるのではないか?
いや、私自身はそこまでギスギスしているとは考えていないし、和気藹々とした雰囲気は心がけている。
副主宰は不器用な所があって、他者との触れ合いが下手な気がする。
前回の二人劇の稽古中と稽古終わりのテンションの落差などは「もうちょっと頑張っても良くない?」とか内心感じる。
Twitterにおいては「寂しい」などと呟くから「寂しさを飼い馴らせ」とリプライしている。
仲が悪い、とは違う。
しかし、ここ最近は全く連絡を取り合っていない。
仲が良かったら、もっと密なやり取りがあるものではないのだろうか?
ただ、やはり、一つの事実かもしれない。
私には今一つ飲み込めない部分はあるが、「仲が良い」と言われるくらいには関係は良好なのだろう。
そう考えれば、一劇団員として好ましいことだ。
私が私の感じたままに行動する。
副主宰は副主宰の考えたままに行動する。
それで良いし、それ以上もそれ以下も望んでいない。
副主宰と私は便宜上、「仲が良い」ということにしておく。
一先ず、副主宰とは「仲が良い」ことにしておこう。
向こうがどう感じているかは、この際、無視する。
「まあ悪くはないかな?」と言えるくらいになる日は、来るかどうかは定かではないが、来たら良いなぐらいには考えておこう。
今後、私が誰かと「仲が良い」と自信を持って言えるようなことがあるだろうか?
猜疑は晴れぬままに、恐れ恐れ関係を見据える。
私は明日も、きっと私のまま、突き進むしかないのだ。
さて、副主宰をどうぶん投げようか、考えておこう。