アマングアス、やるタイミングを逃した。
所属する劇団と演劇関係者でアマングアスをやろうという話になっていた。
しかし、アマングアスをやる日が仕事で参加できなかった。
次は何時なのだろう、と考えていたら、すでに「クトゥルフTRPG」をする話になっていた。
恐らく、アマングアスをやることは二度とないだろう。
こう思い返すとやってみたかったんだな、とは考える。
こればかりは時の運、タイミングが合わないと仕方ない。
そして、多分、クトゥルフTRPGはできない可能性がそこそこある。
やる時期がゴールデンウィーク中を予定しているが、私の仕事は連休など関係ないから不確かなのだ。
あと、私の個人的心情で言えば、アマングアスの方が楽しそうな気がする。
いや、クトゥルフも絶対に楽しめるが、私の楽しみ方は場の混乱というか、エモーショナルでロジカルを壊す楽しみ方である。
ロジカルが大事なTRPGだと普通に進行の邪魔になりそうで申し訳ない気持ちが沸き立つ。
予定がなくても参加しない方向の方が場の和を保てるだろうか?
私のキャラクターを知っている所属劇団員はやれやれと流せるだろうが、二度三度の関わりの人たちだと困惑させそうな気がする。
何となく、私が居ない方が盛り上がるかもしれない、と考える。
などと書くと妙に心配する人が出てきそうではある。
みんなが楽しめればそれで良いだけなのだが、こういう思考は良くないのだろうか?
被害妄想をしている私を楽しんでいるのだが、これはもう自虐の一種かもしれない。
ニュアンスの読み取りほど面倒なことはない。
誰だ、ハイコンテクストな文化にしたのは!
こういう微妙なやりとりが実に面倒、面倒だ。
予めどういう空気になるか考えられる場でも、私が居ると変な空気になることを込みで私は参加を表明して来た。
周りなど関係ない、私が楽しければそれで良い、というエゴイズム全開で臨んでいた。
今後の関係性を考えるに、ただ距離を取られるだけの行動原理は果たして振る舞いとして正しいのか、分からない。
いや、むしろ今後の関係を考えれば、私を開示し続けた方が良いのか?
どうせ嫌でも関わらざる得ない場面もあるだろう、逆に好都合かもしれない。
などとこれも自虐の一種なのか、と自分の思考の癖に四苦八苦しながら考える。
難しいことは周りに任せよう。
結句、「みんなで楽しもう!」という流れになるに決まっているのだ。
ならば、流れに任せるのが一番的確だろう。
ちょっとスッキリした、一先ず5月の予定が確定してからまた考えよう。