ふと、私が関わっている人についてそぞろに書き記す。
私の内面の変化に関わった人の存在は大きい。
「私」の自意識の追求者としてはその人を書くのは意味があるだろう。
最初に、我が劇団員で副主宰のりょうちゃんについて述べる。
私が感じた、考えたことをざっくりと書く。
本人に読まれても良いつもりで彼の人の人物像を述べよう。
りょうちゃんと最初に出会ったのは、3年前のぴかぴか17期生の稽古の時だ。
私はぴかぴか芝居塾という正規ルートではない、完全な裏口ルートで稽古に参加した。
りょうちゃんは仕事で遅れて参加してきた。
その日は各々が考えた脚本の案を発表する日であった。
私は何も知らずに参加したので、以前から持っていたアイディアをぶつけた。
りょうちゃんは、脚本の案を3案持ってきて、プレゼンしていた。
私の最初の印象は、真面目そうだなー、である。
そして、歳が近そうなことが面倒だなー、と感じていた。
昔から同い年の同性は私は苦手だったので、歳が近い同性という点で私の中で敬遠対象だった。
芸名を呼び合う文化に慣れていなかったので、初対面である彼に対して「りょうちゃんさん」と呼んでいた。
今もそうだが他者との距離感はさっぱり分からない私としては結構慎重に動いていた、つもりだ。
それに対して、彼は私には謎の存在だった。
ある稽古で距離感を測るというものがあった。
りょうちゃんと私が組み、かなり近い距離まで近付いた。
その時にどう言う流れか、りょうちゃんに抱き締められた。
演出のカナさんに「嫌そうな顔している」と指摘されたのが記憶している。
私としてはまだ慣れていないのに急に距離を詰められて、戸惑い半分、何だコイツ?というのが半分であった。
今では私の方が急に距離を詰めてりょうちゃんを癒そうな顔にして楽しんでいるのを鑑みても当時は謎で扱い難いと感じていたのだ。
私にとって「歳が近い同性」はそれだけ謎だったのだ。
趣味趣向が合わないだろうな、という決め付けがあった。
悪い人ではないだろう、とは感じてはいたが、反りが合う気がしなかった。
脚本を私が書くことになり、りょうちゃんともう一人の私と同じようなに後から来たMさんとサイゼリアで脚本会議をした時はいたちごっこになった。
りょうちゃんの理論と私の直感が見事に噛み合ず、ごちゃっとした 。
恐らく、この時にりょうちゃんは何だコイツ?と感じたことだろう。
せっかちなのかな?というのは集団行動で見て取れた。
全員で移動する中で、一人先回りしてバーッと行くのが困惑した。
のんびり屋で和を尊びがちである私としては、集団行動中に単独行動するのが何故なのか分からなかった。
最もりょうちゃんとぶつかったのは、自発稽古で起きた役の解釈だ 。
りょうちゃんは理路整然と説明するが、私はピンと来ない。
ピンと来ないが一先ずやってみるか、と私が動くと何故かりょうちゃんは尚も言葉を紡ごうとする。
過去最高にぎくしゃくした瞬間だ。
私をこの演劇に誘ったKが偶々顔を出してくれて、私は即行彼女に話しかけた。
りょうちゃんとは思考のベクトルが真逆なのだ、と痛感した。
不思議なことに思考のベクトルが真逆なのに、行き着くゴールが同じだった。
思考の手法が違うのに、目指す方向が一致する率が高いのが今でも不可解である。
ただこうした思考の違いはある意味でりょうちゃんと私の関係を決定付けただろう。
2年間、りょうちゃんは私から一定の距離を置いていた。
私もどう踏み込むべきか、うろうろしていた。
時々、2人芝居をしたり、ボードゲームをしたりして、恐る恐る距離を測っていた。
しかしその微妙な距離感での付き合いの中で、りょうちゃんが良い人であることは、この3年でよく分かった。
演劇活動を再開する時、私はりょうちゃんにどうしたいか聞いた。
りょうちゃんは役者をしたいと言った。
私はじゃあ役者をやろう、役者であるりょうちゃんが必要だ、と伝えた。
今現在、私とりょうちゃんの関係は良好傾向だ。
振り返れば、あの時、私が役者としてのりょうちゃんを肯定したのが一つの転機だったような気がする。
まだまだ恐る恐るではあるけれど、良い友人を持てた、と私は言える。
これで私の感じるりょうちゃん像を書いた。
「これは違くない?」という人もいるかもしれないが、私の感じていた像なので、これも一つの答えだ。
他の人の答えも聞いてみたい。
因みにこれは私に関わった、特に劇団ぱすてるの人間を標的にしている。
恐ろしさに身震いするが良い。
笑いながら、次の人へ。