2021年10月22日15時頃の安曇野市のスターバックスにて、私は「劇中夢」の感想を書く。
直ぐに書こうと考えていたが、身体も心もくたくただったのか、1週間が経っていた。
やれやれ、困ったものだ、と肩をすくめて独り戯ける。
気分で動くは風の如し。
雑な日程は人の手入れが入らない林の如し。
言い訳することだけは火の如し。
都合の悪い事実は黙ること山の如し也かな。
さて、「劇中夢」の感想、と言っても、全体を通した感想というよりは、私の主観による偏った「劇中夢」への考えの吐露だ。
つまり、管を巻いた酔っぱらいのような戯言だ。
常時酔っぱらったような私の見方なので、もしかしたら、実際の「劇中夢」から外れる可能性すらある。
そのことを踏まえて読んで頂きたい。
_____
目次
_____
1、劇中劇で言いたいこと。
「劇中夢」は、20年前の事故を背景に、事故で亡くなった劇団員の亡霊と、当時の事故を知っている現代の人間が交わり、事故の真相と夢の在り方を問う意欲作だ。
元々、この「劇中夢」の構想は、イマーシブ・シアター、体験型演劇をしようとしていた。
観客の目の前で突然に演技が始まる、客席と舞台の境目がない演劇だ。
よって、脚本の構成も同時多発的、シーン毎で別けられて作られた。
大まかに別けて、3カ所で同時に劇が展開されていくのだ。
同時に展開される、3カ所同時進行は3シーン毎の展開がある訳で、つまり、シンプルに脚本のボリュームは3倍になることを意味している。
聞いている人、待っている人はわくわくするが、書く方はしんどいに違いない。
遅々として上がらない脚本に「そりゃあ、同時進行で全体の筋を違えず、シーン毎でも観客を楽しませて、かつ物語を収束させるのきっついよな…」と脚本家の心配をしていた。
最終的には、エントランスから移動して、舞台のみという簡素な構成になったが、イマーシブ・シアターとしての本領を発揮した「劇中夢」も観てみたい。
絶対に大変で、死にそうになるだろうけれど。
さて、私が強く個人的に言いたいのは、「劇中夢」の中で行われる劇中劇、本演劇のタイトルにもなっている「劇中夢」についてだ。
何を隠そう、私が書きました。
本演劇の登場人物の脚本家である陸之雷知さんが劇団さるばとーれのために書いた最高傑作、「劇中夢」を、私が書きました。
公演が終わるまでは黙っていたが、終わったから言ってしまえの精神だ。
自分の内に留めておくということがどうにも苦手で、何かしらの形で発散したくなる性分なのだ。
口が軽くていけない、私に秘密は漏らさない方が賢明だ。
この劇中劇としての「劇中夢」、普通だったら書くのを躊躇したかもしれない。
「劇団さるばとーれ」は観客からお金を貰っているプロ集団で、そのプロ集団の脚本家が書いた脚本だ。
その出来映えは同じく登場人物であり天才と称される演出家の甘裂残史さんを以てして「最高傑作」と言わしめる脚本だ。
ハードルが馬鹿高である。
まともな神経だったら、絶対に遠慮したい。
そも、「劇中夢」を書いている脚本家は何度かちゃんと公演を打てているのに対して、私はまだ演劇にやり始めて2年目、素人目で見ても無謀だろう。
しかし、私は書いた。
何故なら、私はまともな神経ではないからだ。
物語を書けるなら何でも良い、とさながら野良犬がドブネズミに食らいつくような節操の無さだ。
演出家から「10分程度、登場人物5人、指定の台詞を物語に組み込む条件で、3パターン作って」と指示が出た時は跳んで喜んだ。
飛んで火に入る虫の如く、いよっと引き受けて、その晩に3パターン書いた。
最近分かったが、私はお題をもらった方が書くのが早い。
その中で一番最初に発想して、一番出来が良いと感じていたものが採用された。
大変に嬉しい、しばらくは「やってやったぜ!」と息巻いていた。
この頃から身の入り方が変わった気がするから、今後は役者として演劇する時はひっそり孤独に自前の二次創作脚本を書いて、悦に入ってモチベーションを上げていく。
2、役者として思うこと。
稽古は色々と大変だったが、役者としては最後まで「向いてないな」と感じている。
どこまでいっても私は私なのがどうにも苦しい。
演じるのは楽しいが、役に成り切る点ではどうしても自我が出て嫌になる。
役の解釈を深めると、表出すべきだと考える感情と演じている自分との齟齬を感じる。
観ている人を楽しませたい、が優先すると、役を演じるより観客に目がいってしまい、散見しがちだ。
技術的な面で言っても、舞台上の役者と観客をどちらに目を向けるべきかで、ちょこちょこと動いてしまって、落ち着きが全然ない。
滑舌は以前よりは良くなったかもしれないが、何度か噛んでしまった。
発声もまだ喉で発声しているような気がするし、習得できるのか不安だ。
動きはもっと見易い、大きい動きを心がけたい、私の持ち味なのだからそこを疎かにはしたくない。
ただ、1回目、初めて舞台に上がった時と比べれば、断然にマシにはなっている。
台詞の覚えが前回よりすんなり覚えられた。
脚本兼任だった前回と役者だけだった今回とでは前提が違うかもしれないが、割と初期に台詞の大半が覚えられたのは驚きだ。
一人長台詞も結構直ぐに覚えられたのは個人的に手応えのある出来事だ。
滑舌に関しては確実に今回の方が良い、そう考えると成長はしている。
舞台終演後の演出グループの一人で同期の方から、「長台詞のところ、痛ましかったよ」という評価を頂いた。
私の役所がコミカルな道化であるが、長台詞は過去の事故に触れながら、最愛の女優、城松モト湖さんへの想いを語るシーンだ。
台詞の節々に戯けた台詞があるが、城松モト湖さんへの情念を出したい、と考えていた。
私の台詞回しはせかせか聞こえるらしく、「もっと観客に余韻に浸らせて」というアドバイスは頂いていた。
ゲネと本番では、聞かせようと間を空ける意識で喋ったのが功を奏したようだ。
5億点を叩き出す!という高い目標からは遠いが、演出まとめ役からも「100点」という評価が頂いたので、最低限、私が一番伝えたかった役の気持ちは表出できた、と考える。
自分の中で「役者を前向きにやる」と決めたのも大きい。
今までは消極的な部分があったが、これからは前向きに役者をやろう、としたのももしかしたらプラスに働いたのかもしれない。
向いていない、という苦手意識はあるが、楽しい、という気持ちは大事に胸の奥で秘めて次を見据えていきたい。
本当なら全ての役者の感想を書きたいところだが、何せシーン毎で書かれた演劇で私はすべてのシーンを観れない。
というより、舞台を使ってすべて通したのがゲネで、ほぼほぼぶっつけ本番だったから全部を把握は諦めていた。
自分の役をしっかりと演じるのに集中していたので、むしろ、他の人の感想が聞きたいくらいだ。
3、本番でのあれこれについて。
衣装も直前になって用意していないことに気付いて、某イオンで買い求めた。
支配人の役だったので、スーツだろう、と考えていた。
舞台上は暗くなりがちなので、真っ黒だと見づらくなるからある程度カラフルなスーツを選んだ。
しかし、カラフルなスーツは役の年齢設定が60歳であることを考えると、どうにも若く感じて心配ではあった。
同期で同じシーンに入る劇場オーナーの高円寺桜子さんからは「ぶかぶかなのが気になる」と言われたが、動くからある程度ゆとりがあった方が良いと大きめのサイズを選んだ。
きっちりしたスーツならまた見栄えが違うかもしれないが、そうなるとそれなりの値段になりそうだ。
また別の人たちからは「成金のボンボンみたい」、「タクシーの運ちゃん」という評価を頂いた。
支配人ぽさは、出ていたのかは分からない。
靴だけは家にあった安物の黒の革靴を履いた。
最終稽古にゲネに跳ねて回ってと大立ち回りをした。
本番前、ふと靴を見たら、合成皮がぼろぼろに禿げていた、たった数時間で。
それでも本番に持てば良いと、そのまま挑んだ。
前半最後、高円寺さんに私がホウキを手渡すシーン、私は片膝を着いて花束を手渡すようなポーズを取った。
そのとき、靴に違和感があった。
舞台からハケて確認したら、靴底がべりっと剥がれてぱかっと開いていた。
急いで、マスターテープにセロハンテープ、黒のガムテープで固定した。
まさか靴底が剥がれるとは想定してなかった。
今度、スーツを着る役を演じるときは、複数の革靴を用意しておこう。
私と高円寺さんと記者の薬木聖さんのグループは序盤と終盤に登場する。
つまり、中盤辺りはごっそり出番がない。
かなり長い時間を二階のソファーで座って待った。
前日が夜勤で、睡眠30分だけで体調面で心配だった。
ただ、この長い待ち時間は私にとっては丁度良かった。
待っている間に仮眠が取れた、座した姿勢ではあったが、目を瞑るだけで随分と違った。
寝るのに時間を割いたのも他のシーンに言及できない点だ。
他の人が聞いたら「集中力がない」とお叱りされそうな気がする。
しかし、万全に挑みたいし、どっちにしろがっつりとは見れないから、合理的に考えて知らぬ存ぜぬで押し通した。
4、酔っぱいの夢は続く…?
さて、幸いにも「劇中夢」を公演できた。
身内のみで少人数ではあったが、公演した。
演劇とは観客と役者と場が揃って成り立つ、ちゃんと「演劇」ができたのは私の中で大きい。
全力で挑めた、それが誇りだ。
この事を糧に来年を見据えて動いていきたい。
あっちこっち見てしまうのは性分、私は双子座、かかり気味が常なのだ。
明日に向かうは、風の如し。
脚本を書くは、林の如し。
全方位に動くは、火の如し。
目指す頂きは、日本アルプスの山が如し也かな。
言いたいことバーッと書いて、ちょっとスッキリした。
8割方、自分のことしか書いてないが、感想なぞそういうものだろう、と鼻天狗する。
やはり、酔っぱらいの戯言、聞き流してもらって、どうぞお構いなく。