ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

私は最強の役者を目座す。

ある方から言われた言葉を何度も反芻する。

「波のような芝居ができたら最強」。

はて、波のような芝居とは一体どういうものだろうか?

 

私は役者も前向きにやろうと去年から考えている。

しかし、どういう役者に成りたいのか、具体したものがなかった。

お客さんが楽しんでくれるならばその役割を果たそうとしていたのみだ。

 

第三者から見て、「波のような芝居」ができれば私は最強に成れるらしい。

どういった意味での最強かは分からないが、何かしらが「他と比べて最も強い」役者は良い。

より良いものを目指している私としては、最強の役者はこれ以上ない指針になる。

 

となれば、「波のような芝居」とはどういったものだろうか?

抽象的の表現はどう捉えるべきか、考えあぐねた。

最初に「波」のイメージしたものは「押しては返す」といったものだが、場の空気を上手に読むことなのか、というのは何か違う気がした。

 

私の持ち味の一つは「飛び道具」なので、場の空気を読まない(読めない)所にある。

空気を上手に読もうとするのはズレを感じてしまう。

それに空気を上手に読む役者は他に多く居て、その中の最強は別に存在しているのではないか?

 

私の狭い了見では答えが出ない。

別の知見を追い求めて、グーグル先生に「波のような人」とお尋ねした。

すると、「魅力のあるのは「波」のようなヒト」というタイトルのブログに行き当たった。

 

ブログ自体は女性向けのセミナーや講座をやっている方で、演劇とは無関係だ。

ただ、波のイメージを探している私としては何かヒントになるかもと読み進めた。

そのブログの方曰く、「波は常に変わり続ける」とあった。

 

私の中で稲妻が走った。

これだ、と感じたのだ。

舞台の上で常に変わり続ける役者、同じ場面でも前とは違う役者、最強だ。

 

私の目指している演劇像に近いのもあって、この方向で私は最強を目指そうと考えた。

さて、「常に変わり続ける」役者とは、つまり何をすれば良いのだろうか?

途端に手の平から零れ落ちていく灯りは水面に吸い込まれて消えていく。

 

最強の道程はまだまだ先なのだろうか?

そうしてまたウンウン考えていく矢先で、ロクディムのりょーちゃんの即興芝居のワークショップに1日だけ参加した。

そこで自分にとってかなり大きな発見があった。

 

即興芝居をしようとすると、何かしら自分が考えたものを相手にぶつけていた。

そこから話を発展させていく、というのがあった訳だが、そこが空回りであった。

相手に投げかけた言葉が相手が連想した言葉を聞いて、どうしてその連想になったのか、自分の中で引っ掛かりがあるのかが大事と私は考えた。

 

相手がどうしてそういう連想になるのか分からないのは当然なのだ 。

私とは違う人間で、完全に思考が一致する方がないのだ。

そして、相手の連想に自分が引っ掛かりがあるのを大事にすれば、自ずとクリエイティブな展開になる。

 

相手に何かをしよう、と空回り続けたのがよくなかった。

もっと私に寄り添う、私にフォーカスすれば良かった。

相手の連想に引っ掛かり続ければ、相手が、状況が、舞台が変われば、芝居も変わる。

 

これは即興芝居だけでなく、どうしたら変わり続ける芝居ができるかにも通用する。

演じる役のキャラクターの言動に引っ掛かりを探す。

どうしてそういう言動をするのか、その意味を探す。

 

他の役者の言動に耳を澄まし、どうしてそういう連想になったのか、引っ掛かりを探す。

納得できるまで話をする、その先に面白い芝居がある。

私の目指す芝居である波のような芝居はここだ、と確信した。

 

アンテナを張る、伸ばせるだけ伸ばす、そうすれば私が変わらなくても変わることができる。

これぞ最強だろう、今後も「波のような芝居」を基盤に物事を考えていく。

良い言葉をもらった、と今は考える。

 

8月、9月には丁度自己の内面を拡張するというセミナーに参加する。

色々な意味でタイミングが良い。

今月は幸運に恵まれている気がする。

 

私は最強の役者を目座す。

 

これだけ宣言しておこう。

来年の今頃は今より強くなっている気がする。

手元から微かな灯りを頼りに、暗闇を進む。