このお題を聞いて真っ先に思い付くのはエミール・シオランだ。
後年フランスで活躍したルーマニアの作家、思想家だ。
ペシミストの王と言われたシオランはネガティブを肯定する。
例えば怠惰こそ美徳とする。
人間の活動、生きることは能動的、アクティブに動くことだが、それは悪事を働く道へと続く。
それに対して怠惰、何もしない選択は何もしないからこそ悪事もしない。
活動するということは能動的に働きかけることになり、競争となれば勝ち負けが起き、金銭が発生すれば貧富が生まれる。
殺人という行動は悪事だが、活動するという根本で言えば生きることと同じだ。
もっとも良いことは生まれないこと、という捻くれ加減、最高だ。
自殺をすることも良いこととしている。
ままならない人生で、唯一自らの意志で決定し実行できる自殺を推奨している。
むしろ、「自殺できる」と思考することは人生への活力になる。
上記の本を読んでいる最中だが、こういう視点は好きだ。
能動的に働くことを善とする世間に私は辟易している。
それを一刀両断するシオランの何と痛快のことか。
もっとネガティブで良いのだ。
自分を留まらせようと足掻くべきだ。
あまりに早く、効率化した生き方は息苦しい。
もっとゆっくり、止まるほど、いっそ逆行して。
自分自身を出発点にすべきなのだ。
人間が稼働する動物である限り前に進まざる得ないのだから、そんなに急ぐべきではない。
ネガティブとは留まろうとする思考、ポジティブとは展開する思考だ。
改善しようとするなら、発展を目指すならポジティブ思考が良い。
しかし、原因や根本を疎かにしたら足元が崩れてしまう。
そも十分に世界は発展しきったのではないか?
シンギュラポイントまで人類は後退しても良い。
完全に人間が滅ぶとしても、人類にとっての悲劇であって地球にとってはただの通過点でしかない。
そうした私の捻くれた思考にシオランの言葉は心地良い。
だから私はエミール・シオランが好きだ。