3月某日、さいたま県から妹夫婦がやってきた。
居間から父の腑抜けた声が聞こえる。
母と妹の軽妙な会話も合間合間に挟まってくる。
私は出かける用意をする。
一先ず挨拶だけ、とやおら賑やかな居間に侵入する。
居間の中心に甥っ子は立っていた。
もうすぐ1歳になる甥っ子は突然現れた男に、にこっと笑った。
にこにこと笑いながら、甥っ子は私に近付く。
随分と人好きのある行動で、私は屈んでじっと止まる。
甥っ子は左手で人差し指と親指で何か摘んでいるような形を作り、右手でその左手を指差した。
何か伝えたいことがあるのか、特に意味はないのか、さっぱり分からない。
とにかく、にこにこ笑っている甥っ子をしげしげと見た。
彼はこれからもっと大きくなるのだろう。
すくすくと育ち、彼は彼なりの人生を歩むのだろう。
愛されて育てられている甥っ子はどんな人間になるだろうか?
私としてはできればあまり関わりたくない。
私は私の生き方に満足しているが、私が親族として関わるのは私が親だったら不安だ。
彼の人生に悪影響を与えてしまうのではと憂慮するばかりだ。
しかし、私の妹の子だから完全に関わらないのも無理かもしれない。
なるだけ関わりは減らしながらも、ピンポイントで関わる形になれば良い。
親戚付き合いなど面倒でしかないのだから。
妹が帰省する1年に1度くらいの関わりになるだろう。
そして、思春期に入る小学高学年前までだろう。
そうすると最低で後10回程度、つまり10年先の関わりか。
小学生の頃になれば甥っ子の貴重な脳のメモリに私の印象が残る。
あまり印象に残らないようにしたい。
空気よりも薄い、叔父さんがいるな、ぐらいの人間でありたい。
あゝ甥っ子よ、その左手は何を意味しているのだ?
あゝ甥っ子よ、何をそんなに笑うのだ?
あゝ甥っ子よ、健やかに育ち給え。
居間の中心にいた甥っ子は妹に抱き抱えられた。
それを横目に私は立ち上がり、居間を後にした。
あと9回の甥っ子との邂逅に恐れながら。