「書くことがない」と嘆く人たちへ。
気持ちは痛いほど分かる。
タンスの角に小指をぶつけた上に、屈んだ拍子にテーブルに頭をぶつけたくらい、痛いほど分かる。
当ブログは「詰まらないこと」を是としているから、辛うじて書けている。
辛うじて、本当に、辛うじて。
「詰まらないこと」でさえも、書くことがなくなってきた私には、七転八倒した振りをして、頭を捻る毎日だ。
3日前は、「ぬかるみを踏んだ」ことを書いた。
一昨日は、「欠伸が出た」ことを書いた。
昨日は、「自動車のキーを無くした」ことを書いた。
今日は、「書くことがない」ことを書いている。
一言「ふーん」で終わる話を、えっちらおっちら文章を足している。
しかし、考えようによっては、「書くことがない」と嘆くには、未だ早いのかもしれない。
何せ、ここまで「詰まらないこと」を謳ったこのブログの、「意味のない」と 掲げた記事が、250記事を書けているのだ。
毎日、1記事なので、250日だ。
250日の大半は、些末なことでできている。
朝ごはんに納豆が出た、会社まで青信号だった、新しく入った人が地元の人だった、等の取るに足らないことばかりだ。
しかし、これら些末なことを生業にしているのがブロガーではないだろうか?
納豆から、健康関連の記事が書ける。
青信号から、統計学関連の記事が書ける。
地元の人から、地元アピールの記事が書ける。
些末なこと故に、見逃しまくるのは致し方ない。
されど、そうした些末なことをよく考えれば、注目すべき発見があるものだ。
「書くことがない」と嘆く人たちへ。
気持ちは痛いほど分かる、
しかし、書くことを見切りをつけるのはもう少し待ってほしい。
待てば、何かしらある。
何かしら、の具体例は、ない。
ないが、何かはある。
その何かが役に立つかどうかは、分からない。
分からないが、そこまで待ってからでも、遅くはない。
またぞろ、詰まらないことを書いた。
参考にもならない些末なことだ。
あー、本当に、書くことがない。