読者登録者数が89人(88人)になった。
88は、ゾロ目、左右対称、上下対称の揃い踏みで、大変美しい。
漫画オタクとしては、8.8cm(アハトアハト)の弾丸が豆腐の脳みそに打っ放されるのを想起してしまう。
つまり、気分がイノベーションする数字が「88」なのだ。
この数字を踏んだブログを紹介しよう、と早速、乗り込む。
今回、餌食…紹介するのは、nanaさんの《happier!》だ。
「happier」は「より幸せな(happyの比較級)」の意味がある、と英和辞典 Weblio辞書に書いてあった。
ブログを書く人は、陽か陰かのどちらかに振り切れているイメージがある。
そして、このブログは、陽のブログだ。
よく考えると、私が紹介しているブログは、陽のブログばかりな気がする。
私が「読者登録数が〇〇になったら、そのブログを紹介しよう」と、毎度勝手に定めた数字を踏むのは、いつも陽のブログのような気がする。
陽のブログの絶対数が多いというのが真実だろうが、偏屈な私は、「お前はもっと明るくなれよ!」と霊界からのスピリチュアルなメッセージなのではないか?と穿った見方をしてしまう。
そんな訳はない、気を確かに持て、私よ。
自分をしっかと律しなければならない、自分に甘い私は、気を引き締めて次の記事を読むことにした。
気を引き締めなければならない、と言って、舌の根が乾かないうちにこの記事を無意識に選ぶ私は、自分にゲロ甘だ!
自分に甘いことには痛烈に反省しながらも、何故、この記事を選んだのかを自問する。
そして、自答する、タイトルが引っ掛かる。
「周りにも」甘いとは、一体、どういうことだろうか?
冒頭、書き出しでnanaさんはこう書いている。
自分に厳しい人は、周りにも厳しいのでは?
私、年代の影響もあってか
自己鍛錬!魂の修行!厳しく律しなければ!!
誰もがそうでなければ世の中が乱れてしまう
・・・なんてw
ずぅぅーーーーっと大真面目に思っていました
無意識レベルでね
「こうあらねばならない」という強く自分を律する人はいる。
そして、「世の中はこうあるべきだ」という人もいる。
自分の強く律する人は、世の中も同じように律しようとしている。
そうしなければ、世の中が乱れてしまう、と考えていたそうだ。
…律しなければ世の中は乱れるで合っているのでは?
いや、「強く」という所がポイントか。
1から10まで、徹頭徹尾、律することに拘るのは、確かに良くないか。
そうした強く律することをnanaさんは止めたとのこと。
理由は簡潔に言えば、下記の引用になるのだろう。
ベースはどんな悪人かっちゅーのwww
律しなければみんな悪いことするのかwww
基本人はみんな「良くしていこう」と動いている
この「良くしていこう」は、より良い社会にしようとすること、と解釈した。
と言うより私の感覚だと、善悪に関わらず、人がより良い社会にするのは、人間が生きていく上で必要なシステムだろう、と考えている。
故に、結論の「良くしていこう」は賛同するのだが、人の性が善か悪かについてはまた別の種類に感じてしまうのだ。
nanaさんは「騙す騙される世の中だ」と思い込んで、世の中を恐れていたと告白した上でこう述べる。
世の中はそんなに怖くない
基本みんな優しいし自分に甘くても良い
これは本当に有難いことだなぁ・・・♪
自分の価値観(考え方)が変わると
世の中が変わる(ように見えてくる)
「世の中はそんなに怖くない」、この1文は強く賛同する。
社会は優しさで成り立っている。
ただ、その優しさは厳しさがある故に成り立つと考えている。
必要以上に恐れる必要はないが、向こう見ずで社会との距離を計り間違うのは、蛮行だ。
文章が前後するが、nanaさんは自分に甘くすることに対しては…
甘えが出るとダラダラしてしまう?
それもいいし必要な時期なんだろうね
自分を責めず、正直に優しくなれば
また何かする元気は湧いてくるもの
嗚呼、これは自分に厳しく生きてきた人だからこその言葉だ、と感じた。
何せ、私は30年間、自分を甘やかし続けた。
そうした自堕落な私は、社会の厳しさのお陰で生かされている。
nanaさんは自分に厳しく生きてきた、だから、自分や周りを甘やかすことの大切さを見出した。
私は自分に甘く生きてきた、だから、社会が律してくれていることの大切さを見出した。
毎回、感じるのだが、答えに至るまでの過程やその根底にある思想が違うのに、どうして同じような答えになるのだろうか?
「世の中はそんなに怖くない」、私はこの表層から何処まで読み込めば良いのだろうか?
ふとチャンネルが切り替わったかのように
出会う人や物事も変わるし
同じ場所に生きていても
焦点が当たる場所が変わるだけで
世の中が本当に変わったように見える
どんな場所に生きていても
自分の価値観のメガネをかけ替えるだけで
現状がガラリと変わるほどの変化が訪れる
一つの価値観に固執しなくても良い、時代は目まぐるしく変わっていく。
時代によって人の価値観は変わる。
縄文時代と江戸時代と現代、同じ価値観だったとは私は考えない。
今の時代は様々なことが多様化している。
私は今の時代は様々な価値観が提示する人と、「それ良いね!」と受け入れる人の時代だと考えている。
もっと社会は変化していくだろう、もっと時代は変化するだろう。
そうした「変化」にnanaさんからの答えは___
変わっていくことは楽しいこと
変化を恐れず、前のめりに
それを楽しめる時にいい出会いがある
私の信念である、「「くらべること」がより良い社会に繋がる」ことは、変化を受け入れることでもある。
なら、上の小枝の怠け者の答えは、決まっている。
社会や時代の変化を楽しもう!
………記事が言いたいこととは違う気がする。
もっと陽な記事のはずなのだが、穿った見方が身に付いてしまっている。
しかし、それほど的外れでもない………かもしれない。
自分に甘々な私は、書けたから良しとすることにした。
nanaさんも「自分に甘くしよう」と言っているし?
華麗に責任転嫁して、無礼を承知で勝手に仮定した記事を投稿する。