下書きが溜まりに溜まっていく。
波打ち際に打ち寄せるビニールやペットボトルの残骸のように溜まっていく。
途中までは書いてあるが、このまま日の目を見ないままなのかもしれない。
その中後半端な下書きの中に、妙なタイトルを見付ける。
「76(マテ茶)」
記事一覧で確認すると、やはり「76」は投稿済みだ。
おそらく、記事を二つ書いて、区別するために片方に適当な言葉を書いたのだろう。
しかし、マテ茶?何でだろう?
私は飲むとしたら、緑茶系で、マテ茶は飲んだことがない。
そういう時の言葉選びは、その日に適当に思い浮かんだ言葉をそのまま書く。
きっとその日の私の気分が、マテ茶だったのだろう。
して、この記事の内容は何だろうか?
気になったので、開いてみた。
以下、書いた内容。
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ノリ弁を買いました。
ご飯の上にノリが敷き詰められ、ノリの下にはオカカがあります。
チクワの揚げ物、目玉焼き、ハム、唐揚げのオカズが乗せられてます。
野菜ジュースを買って、栄養バランスを取ります。
漫画「月に吠えらんねえ」を読みました。
相変わらず、難解な展開で、学の無さが情けない。
その難解な展開の中で、言葉とは、それ自体が強い社会性を持っている、と。
ふと、「ノリ弁を買いました」などと書くのも、そういうことなのか?と考えます。
実にくだらない、一個人の日常の断片を、自分の中で密封せず、言葉にしているということは、即ち、社会に帰属したいからなのか?
ノリ弁を買いました。
この一言に、難解な展開は必要か否か。
ゆっくり考えます。
投稿します。
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マテ茶、関係ない。
何故、「ノリ弁」にしなかった。
または、「月に吠えらんねえ」でも良かった。
本当に適当だと、つくづく感じる。
シャツの裏表を気にせずに着るような、適当さだ。
または、円周率は「3よりちょっと大きいで良いじゃん?」と言うような、適当さだ。
記事の内容が入って来ない…タイトルの仮称も大事だな…
今度から、仮称ももう少し関連がありそうな感じのチョイスにします。
投稿します。